中国杯もまであと数日。

たぶん昌磨くんを含め日本選手は今日重慶に移動するのかな


さて、中国杯前に

下書き書いて放っていたものを放出しておこう

もう2週間も前になってしまったけど

ニノさんに昌磨くんが出演した時に書き綴ったもの。

完全にタイミングを逸したけど

今季初戦を前に応援の気持ちを再確認ってことであげておこう



しかし夜はポエマーになるからいかんな…









ずっと楽しみにしていた昌磨くんゲスト回のニノさん

期待にたがわず、面白くて1時間笑いっぱなしだった

 

 

  アスリートを応援するということ

 

アスリートをガチで応援するのは昌磨くんが初めて。

この数年間ファンとは何ぞや?、アスリートを応援するってどういうこと?

自問自答を繰り返してきた

 


まだ答えはでない。

でも自分のスタンスは変わらず、



勝手に理想を押し付けない

「違う」と思ったら離れる

最大限の無理はするけれど、推しのせいにしない。後悔しない。

モチベは「したい」気持ち。「しなくちゃ」と思ったら立ち止まる


を大事にしている。

ひとは義務感で動くと、相手にも相応のものを求めたくなってしまうから。

 

 

で、ニノさんで、考えの一端が整理できた。

 

私は常に、応援することに負い目を感じている。

私の思いや感動や希望や期待を勝手に押し付けていることに、アスリートを消費しているような気持になっているのも確かで。


彼が試合で頑張ること、メディアにでること、そして私がそれを観る。

これは私の生活を確かに彩(いろど)っているのだけど、

私は自分の生活の彩りのために、彼を消費しているのでは?という思いが消えない。

 

だから、例えば

選手がストイックに自分に制限をかけ、いろんなものを犠牲にしながら

競技を続けて、それを私が生活の彩にしているのだとしたら

それはその人を消費していることにほかならず、

多分、ファンを名乗ることに躊躇いがでてしまう。

 

そんな関係は対等じゃない。


私は自分の大事な生活も家族も抱え込んだままなんだから。手放す気もないし。

そんなのは居心地が悪くて、そこから逃げ出したくなる。

 

 

でも、昌磨くんはそういう悲壮感を見せない。

幼いころから注目されたり期待される中で

人に対して諦観のような気持ちを抱えているのは垣間見えたし

閉じられた場で、ちょっとした苦労話を話すこともあったけど、昌磨くんは終わった苦労に感情をのせないの。

客観的に事実として話すだけ。

だから悲壮感がない。

 

 

長らく後進が育っていなかった日本で、

ケガがちだった羽生くんがいないときでもフィギュア強国日本を支え、

シルバーコレクターだの時に揶揄されたって

自分の果たすべき責任をきっちり果たしてきたひとだ。

 

だけど、「楽だよ。楽しいよ」って言っちゃうの。

アスリートらしくないでしょって笑い話にしてくれるの。

 

そしてそのうえで

「応援してくれる、期待してくれるのなら三連覇をめざしたい」

って、こちらの気持ちを慮りながら、自分自分の意思として話してくれるの

優しすぎて泣けたわ。

 

自然体でかっこいいひとだよ

アスリートの推し方は未だによく分からないけど、

これからも自由でいてほしいな。

 

考えが変わっても、

一見突拍子もないことを決断しても、

あーあー、もうってハラハラしながら、呆れながら

そうやって応援していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういえば

二宮くんのファンの方の昌磨くんの言葉に対する解析度の高さにびっくりしたのだけど、二宮くんもそういうひとだからなのね。

やるべきことをやるのは努力といわない。

 

 

 

二宮くんもそういうひとなんだろう。

そして、だから彼のファンは、あのほわっとした昌磨くんの言葉からもちゃんと本質を感じ取れるんだろうね。



ニノさんを観ながら、つらつらと考えたことでした。

以上。