WOWOWドラマ「落日」にみる人間本性としての因果律 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

湊かなえ原作の北川景子主演WOWOWドラマ「落日」を視聴しているが、これが非常に面白い。

 

「なぜ面白いか」といえば、人間本性としての因果律の宿命から逃れられない人間の悲哀を描いているからだ(それだけではないですが)。

 

 

(以下若干のネタバレ含みます)

 

娘を交通事故で亡くした家族。そしてその娘を車でひき殺した男。

 

残された遺族は、この男(加害者)のことを何も知らずにいれば「娘をなくした」という、このやり場のない気持ちをこの男にぶつけることができる。

 

「あいつのせいで大切な娘が殺された」

 

と思えば、なんとか気持ちのおさまりようもある。

 

つまりここで一定の因果律が働いて納得ができれば人間の気持ちはある程度落ち着くのだ(もちろん、娘の死という辛さは永遠に残る)。

 

でもその加害者は、とてもいい人だった。勤め先の評判も近所の評判もよく、厳罰を避けてほしいなどの嘆願書まで裁判所に届くほど。

 

そして小さな子供を連れて遺族にお詫びにきた。加害者が前科者のような悪い男なら、気持ちのやり場もあるが、あまりにもその善人ぶりと小さな子供を抱えて、涙ながらに謝るその姿に被害者家族は何も言えなくなってしまう。

 

ここで、また因果律が成り立たない、未埒明きな状態になってしまう。

 

人間は、なんらかの不幸が襲ってきたとき、それはなぜなのか、因果律を発動すること(=納得すること)で、なんとか気持ちをおさめようとする。

 

おさめられなければ、ずっと気持ちのやり場がなく、どうしようもない宙ぶらりんで不安な気持ちが続いてしまう。

 

なのでこの不安を解消すべく、宗教を利用することもある。

 

自分が被害者となった不幸の場合は、なんとか「神の思し召し」「試練」「前世の罪」などの宗教にもどつくストーリーによって因果律を成り立たせ、気持ちをおさめるのだ。

 

一方で、自分が加害者となった不幸=罪の場合は、なんとか罪滅ぼしのための苦行・巡礼・お祈りなどによって、ストーリーを完結させ、已むに已まれない罪の意識を鎮めようとする。

 

もちろん宗教ではなく、理性的な手法もある。

 

本文がまさにその理性的な手法だ。

 

「人間の本性は因果律からは逃れられない生き物なのだ」

 

とおもうことによって、自分の気持ちのやるせなさを、解消することができるかもしれない。

 

「不安な気持ちになるのは人間の本性だから仕方ない」


というストーリーによって気持ちをおさめるのだ。

 

ちなみに因果律から逃れられない、というのは行動経済学的には「バイアス」として、

 

 

生物学的には物事を認知するための不可避の性質として証明されている。

 

いずれにしても人間は、何かしらの不幸が襲ったとき、因果律を発動させることによって、宙ぶらりんになった気持ちを落ち着かせようとする。

 

そういう生き物である。