民主主義では解決できないインド社会の呪縛=カースト制度 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

自由の命運(下)より、インドのカースト制度の呪縛を改めて認識。いくら民主主義という政治的自由を採用したとしても、社会の規範(著者のいう「規範の檻」)が変わらなければ、自由は得られない、という事例がインドの事例。

 

■カースト制度について

カースト制度は、主にインド人の大半を占めるヒンドゥー教徒の社会規範。外務省データによれば、ヒンドゥー教徒80%、イスラム教徒14%、キリスト教徒2%、シク教徒2%(2011年国勢調査)。インドのイスラム圏は元々パキスタンとバングラディシュとして分離独立しましたが、一部インド領内にも残存。キリスト教徒はミャンマー国境エリア(ナガランド)に住む少数民族への西洋人の布教の名残です。

 

紀元前324年ごろ!!のマウリヤ朝創始者チャンドラグプタの参謀だったカウティリアの著した「実理論」に基づくヒンドゥー教徒の構成を整理すると以下のようになります。

このような歴史的社会組織は、イングランドなど、他地域でも一般に見られたもの(日本でも士農工商として存在)でしたが、宗教に裏付けられたカースト制度は、常にリヴァイアサン=国家権力そのものがカースト制度によって支えられているという歴史を育んできたがために現代まで強力な規範の檻として残存。

 

例えば西欧や古代ギリシャのアテナイでは、赤の女王効果によって社会と国家がせめぎ合って高めあっていく中で、徐々に規範の檻が解体されていくのですが、インドでは分裂と分断を助長する規範の檻=カースト制度を解体することはできませんでした。

 

■不可触民=ダリットへの差別

中でも不可触民ダリットの扱いは、かつての日本の被差別部落への差別と同じ「穢れ忌避」の社会規範そのもの。

 

彼らは「穢れの民」として明確にセパレートされ、インド憲法第十七条で不可触民制が廃止されているにもかかわらず、規範の檻から逃れることはできません。しかも彼らは推定2億人もいるというのですからインド人口13億人のうち15%を占めるほど多数派なのに、です。

 

「影に触れるだけで穢れる」というぐらい、他のジャーティから忌避されているというのですから、アパルトヘイト(南アの人種隔離政策)どころの差別ではありません。

 

■ヒンドゥー教徒のアイデンティティは「ジャーティ」に宿る

それもこれも、ヒンドゥー教徒にとってのアイデンティティは3,000にも及ぶジャーティという職業集団にあり、所属するジャーティが大工であれば、先祖代々子々孫々まで大工という職業が一子相伝で続いていくほどの強力な集団だから。

 

ジャーティこそが彼らのアイデンティティであり、他ジャーティとの対立と抗争は絶え間なく起こり、他ジャーティの排斥はもちろん、不可触民たるダリットのジャーティに対する扱いは言わずもがな、です。

 

本当にこんな制度が今に至るまで続いているのか、インドに行ったことのない私にとっては不思議そのものですが、イギリス植民地行政官E・A・H・ブラントが詳細にジャーティを詳細に調査し、1931年に出版した著書「北インドのカースト制度」によれば、当時のジャーティの90%は農業で、専門職の陶工や大工・清掃人などの専門職は、5割〜8割が先祖伝来の職業を受け継いでいたといいます。

 

世界最大の人口を擁しようとするインド13億人の80%=10億人がヒンドゥー教徒ということは、世界人口75億の13%が2500年以上続く規範の檻の中に暮らしているということ自体が驚き以外の何者でもありません。