理想の政治体制とは何か?「自由の命運(上)」(D・アセモグル&J・A・ロビンソン著)読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

<概要>

理想の国家実現には、政治権力(著者のいうリヴァイアサン)と社会の絶え間ないせめぎ合いが必須だと提言した著作。うち上巻では概要を説明したのち、ナイジェリア、古代ギリシアのアテナイ、アメリカ、西欧、中国、イスラム帝国などの事例を紹介。原題は、直訳すると「狭い回廊」。

 

 

<コメント>

■世界を俯瞰したうえでの日本の政治体制の評価

下巻含めて、本書を通読して率直に感じたのは「いかに日本の政治体制がよいか」ということ。もちろん日本も課題は山積みですが、地理的・歴史的に全世界・全時代のあらゆる政治体制を網羅して、理想の政治体制とは何か?を提言した本書を読むと、一層そう感じざるを得ません。

 

世界を見れば見るほど、世界は日本とは比較にならないほどの多くの悩ましい課題を抱えており、最近話題の中国の専制主義も、世界中の政治体制や実態をすべてリスト化して比較した上で判断するとだいぶマシな方ではないかと思ってしまいます。

 

(ちなみに日本に関して本書では、下巻で戦前→戦後の政治体制変化について若干触れているのみで、理想の政治体制として触れているわけではありません。上記は個人的感想です)

 

■理想の政治体制

著者の考える政治の理想とは「個人のあらゆる自由を実現すること」。著者の考える自由とは、英国の哲学者ジョン・ロックのいう自由。

他人に許可を求めたり、他人の意志に頼ったりすることなしに・・・みずからの行動を律し、みずからが適当と考えるままに、みずからの所有物と身体を処理することができる・・・完全な自由(序章:自由)

そして自由という理想を実現する政治体制とは?、つまり本書の結論とは何か?をひとことでいえば

 

政治と社会がせめぎあって双方を高めあう動的均衡状態が最も理想的な政治体制

 

これを著者は「足枷のリヴァイアサン」と呼びます。

 

足枷とは、社会による政治への積極的関与。リヴァイアサン(哲学者ホッブズのリヴァイアサンを引用)とは、政治権力のこと。「社会によって足枷をはめられた政治が理想の姿」ということ。現代風にいえば、政治が暴走しないよう社会が常に政治をガバナンスしている体制。

 

かといって政治権力が弱すぎてもいけません。社会と政治権力双方が強くなって高めあっていく動的に力が均衡した状態を維持し続けることが肝要だといいます(著者いうところの「赤の女王効果」)。

赤の女王効果とは、その場にとどまるためには走り続けなければならない状況のことをいう(第2章:赤の女王)。

赤の女王は「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル著)の登場人物のひとりで彼女の

ここではね、同じ場所にとどまるためには、思いっきり走らなくてはいけないの(同上)

というセリフから生まれたセオリーが「赤の女王効果」。

 

科学ジャーナリストのマット・リドレーも「赤の女王」というタイトルで「環境の絶え間ざる変化に適応し続けた種のみが生存していく」として、環境変化と生物進化の動的均衡(=種の生存)を赤の女王という表現で喩えています。

 

 

■理想の政治体制は「狭い回廊」

自由の実現は「点」、つまり静的な状態では実現できず、常に「プロセス」=動的な状態でしか実現しないので、理想の政治体制の状態を「回廊」と著者は称します。

これがプロセスである理由は、国家とエリートが社会によってはめられた足枷を受け入れることを学び、社会の異なる階層が違いを超えて強力し合うことを学ぶ必要があるからだ(序章)

そして

こうした回廊が狭い理由は、こうしたことが容易ではないからだ(序章)

として「狭い回廊(The Narrow Corridor)」と表現。国家が強すぎても社会が強すぎても、実現しません。常に狭い回廊の中で、社会と国家がバランスを保ち続けないと足枷のリヴァイアサンは実現しません。

 

■政治体制の区分

著者によれば国家(政治体制)の目的は、

法執行、紛争解決、経済活動の規制と課税、インフラや公共サービスの提供などが含まれる。戦争執行が含まれることもある(第1章「衝撃と恐怖」)。

として、国家は、ないよりあった方がよいとしています。というのも国家なき原始社会では、暴力による死亡が当たり前の社会(暴力による年間死亡率0.5%→50年で4人に1人が戦争含めた殺人死)。したがってどんな国家でもないよりあった方がマシ。よくいう原始社会は戦争のない理想社会というのは「幻想」です。

 

ないよりあった方がマシの国家=リヴァイアサンは、地理的歴史的に分類すると以下の4つになります。

 

①足枷のリヴァイアサン、②専横のリヴァイアサン、③不在のリヴァイアサン、④張り子のリヴァイアサン

 

それでは個別の概要をみていきましょう。

 

①足枷のリヴァイアサン

足枷のリヴァイアサンが理想ですが、これは狭い回廊なので実現は難しいものの、歴史上限定的であっても実現した国家は多い。つまり健全な民主主義を実現した国家は、歴史的には古代アテナイ(アテネ)、中世イタリアのコムーネ(自治都市)、現代ではアメリカ合衆国やスウェーデンなどの北欧、イギリス等の西欧など、多数存在。そして足枷をはめられたリヴァイアサンこそが、国家能力を最も高め、深めることのできる政治体制だとしています。

 

なお、著者は「社会が常に国家権力を監視する必要がある」というのですが「社会って具体的になんですか」というと歴史的には農民一揆や古代アテナイの陶片追放(オストラキスモス)、アメリカ独立戦争、フランス革命などをイメージすればよいとのことですが、最後までいまいちピンときませんでした。

 

現代においては労働組合などを挙げていますが、労働組合は組合に加入する労働者の権利のみを実現しようとするので、哲学者ルソーのいう「個別意志」になってしまい、あまり効果的とは言えないと思います。

 

私の考えでは、現代におけるリヴァイアサンの足枷は、社会の意志をより正確に反映できる「公正な選挙制度の運用」や「リコール・弾劾などの公正な運用」に加え、真っ当なメディアやSNS、世論調査などによる多面的な監視ではないかと思います。

 

②専横のリヴァイアサン

いわゆる専制主義国家。専制主義国家は、社会に比べて国家が圧倒的に強い状態。

 

有能な専制国家は法を整備し成長を促して経済成長させ、治安を安定させるなど国家運営に能力を発揮しますが、いずれは本来保護すべき民衆の財産権を侵害したい誘惑には勝てなくなり、民衆への過度な税金によって、民衆のモチベーションを低下させ、ラッファー曲線(※)をひそかに滑り落ちていくといいます(イスラム帝国の事例で実証)。

※ラッファー曲線とは、徴税は、王朝の初期には低率の課税であっても収入が大きい。王朝の末期は、高率の課税であっても、収入は少ないという財政政策の原理を表現したグラフの曲線(経済学者アーサー・ラッファーの理論)

私の考えでは著者のいう専横のリヴァイアサンのうち、「中国共産党」というリヴァイアサンは、これまでの王権の専横体制とは一線を画したリヴァイアサンで「世襲でない民間企業と類似した組織」です。つまり、これまでの歴史では登場したことがない新しいリヴァイアサン(ベトナムも同じ)

 

ガバナンスは組織内の権力闘争であって、現時点では実力主義によって運用されているように感じます。この限りにおいては、ある程度長期間にわたってその能力を発揮し続ける可能性があります。ただしこの新しいリヴァイアサンが王権のように血縁的・地縁的権力組織に変容した場合のみ衰退の道を歩むと思われますが、今後この新しいリヴァイアサンが、どのような過程を進むのか、は注視していく必要があるとは思います。

 

ちなみに著者の見解は、これまでの中国の成功は、既存の技術や経済成長モデルを模倣した成長だから中共独裁での成長が可能だったとし、未来の成長に欠かせない幅広い分野での多様で継続的なイノベーションが可能かどうか、というと専横のリヴァイアサンが支配する国家ではまず無理であろうと推測しています。

 

③不在のリヴァイアサン

国家がない社会、または国家があったとしても国家が機能していない社会。だから不在のリヴァイアサン。リヴァイアサンが不在だからといって、ポリス的動物(アリストテレス)である人間社会は組織化されていないわけではありません。地縁・血縁をベースにした共同体があり、著者のいう「規範の檻」(共同体内だけで通用する習慣や宗教など)で統制されている社会です。

 

例えばガーナとコートジボワールにまたがって生活するアカン族の場合、

国家なき社会にも、より多くの影響力や富、人脈、権威を持つ人々はいる。アフリカでは、それはたいてい首長か、親族集団の最年長者である長老だった。タカを避ける為には首長や長老らの庇護を受ける必要があり、また身を守るには人が多い方が良いため、人々は親族集団や出自集団に身を寄せた(第1章:規範の檻)。

とし、それぞれの人間社会における私的な集団の首長が規範の檻を伴って社会を支配し、自由な個人は存在しないといいます。仲間外れにされれば、そのまま飢え死にするか、他集団の餌食になって、殺されるか奴隷になり下がることになります。ナイジェリアのティヴ社会(血縁体系を中心とする民族集団)、イスラムが誕生する前のアラブ社会などもリヴァイアサンを忌避(=不在のリヴァイアサン)。

 

④張り子のリヴァイアサン

このリヴァイアサンも厄介。多くの発展途上国がこれに相当します。表向きは民主主義国家であっても中身は特定の権力者が支配する政治体制で、国家能力が低いので実質専制的でしかも国家としての機能は発揮できず、もっぱら民衆の搾取に従事するリヴァイアサン。

 

見た目はちゃんとした官僚組織・軍隊・警察を保持し、各国に大使も派遣するなど、真っ当な国家に見えますが、実はこれらが全く機能していません。仕事をしない幽霊公務員(著者名付けてニョッキ)や、コネと賄賂が蔓延した公務員がはびこる、中身が破綻した国家。

 

以上、概要を説明しただけで、こんなに長文となってしまいましたが、実は個別のその政治体制の歴史や現実をみると、どれも興味深い内容で、ここで整理しておきたいリヴァイアサン満載です。今後時間はかかってしまうと思いますが、追って紹介していきたいと思います。