定本 想像の共同体 B・アンダーソン著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

宗教や王国といった想像の共同体から「近代国家」という想像の共同体に転換してきた理由を、資本主義の発展に伴う、印刷技術の発展(=出版資本主義)と共通文語(ラテン語)主体から地域別の俗語口語(英語、フランス語、ドイツ語など)の共通語化によるもの、とした著作。

 

ナショナリズムに関する古典と言われている本書。装飾的な言葉も多い(著者曰く飽きさせないようだそう?)こともあって読みにくい本ですが、なんとか読了。

 

認知革命による「虚構の創造」によって原始狩猟社会から脱却した人類(ホモ・サピエンス全史より)は、近代国家が成立するまでは、各地各様の社会の虚構を育んできたと思います。

 

本書の著者アンダーソンは、ハラリのいう「虚構」を、「想像の共同体」と定義し「近代国家もその一形態」としました。

 

したがって「ナショナリズム」とは「近代国家(国民国家)」という近代社会以降に誕生した新しい共同体への帰属意識に心の拠り所を求める思想と言ったらいいのでしょうか。

 

 

 

 

認知革命以降の虚構の大きな流れとして、

東アジアでは、中華思想(儒教思想とは違います)に基づき、中国王朝を中心とした文明圏があり、その周りの東夷、西戎、北狄、南蛮に属する国家が吸収されて「中華」に包含されつつ、朝貢貿易を介して属国となる構図(日本や琉球は東夷)。言葉は漢文(文語)で標準化された世界。

 

地中海世界で、は古代ローマ帝国を基盤としたキリスト教と王国が並列した聖俗社会を形成。加えてイスラム社会が後から生まれ、オスマン帝国などの聖俗一体となった社会を形成。言葉はラテン語(文語)で標準化された世界。

 

などなど、近代社会が生まれるまでは各地域各様ではありましたが、アメリカ大陸の欧州植民地の独立運動から始まったとされる近代国家は、欧州においても俗語口語の標準化(それまではラテン語)と印刷技術の絡み合った普及が王国と宗教世界の衰退に合わせて誕生したという。

 

ここでキーになるのは「俗語口語の標準化」。

 

本書を参考にすれば、近代国家という幻想は、俗語口語の標準化によってなされたと言っても過言ではない。

 

例えば近代国家「日本」という想像の共同体(社会の虚構)は、欧州、特にドイツ圏のモデルを参考に作られたという。これは公定ナショナリズムと呼ばれ、トップダウンに基づく近代国家の創造。

 

著者によれば日本は偶然的な以下の3つの要因に基づく公定ナショナリズムの成功事例。

①比較的高い民族文化的同質性、中国語化した統一した文語=漢文によって学校と出版による読み書き能力の向上が容易。

②天皇家の万邦無比の古さ

③西洋による外圧のタイミングが1860年代で手本となる公定ナショナリズムや民衆的ナショナリズムが欧州において半世紀も経過していたこと

 

以上の要因に基づき、明治政府が標準語を創造。そもそも我々が話している標準語は、東京山手の一部の人が話す言葉を加工して作られた人口語。

 

当然ながら、明治時代中頃までは今とは雲泥の違いでお互い理解もできない方言で(中国語ほどではないが)、ほとんど通じない世界だったらしい(「民族の創出」第2章より)。

 

 

 

 

いわゆる「日本人アイデンティティ主義」の拠り所となっている伝統国家「日本」という概念も、実は明治政府が創造した「想像の共同体」で、150年程度の伝統。

 

むしろ江戸時代までは「藩」の方が社会の虚構の中心的な概念だったのかもしれません。

 

でも時代や地域によって様々に変容する社会の虚構は、近代国家だけでなく宗教も王国も藩も、みな社会の虚構であって「どの虚構」を自分たちのアイデンティティの拠り所とするか(今は不要の人の方が多いと思いますが)、というだけのこと。

 

大事なのは

 

「どの虚構を信念とするにしても教条主義に陥るのは回避すべき」

 

ということです。