サッカーにおける判定の正しさとは | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

今日(2019年5月31日)の日経新聞の武智さんのコラム「アナザービュー」は考えさせられた。

Jリーグの浦和対湘南(5月17日)戦で、ゴールラインを完全に超えたゴールが認められなかった。過去にもこんな試合は思い出せないほどたくさんあって「昔から審判の誤審も試合のうち」というのが、フェアな戦いを是とするアメリカのスポーツと文化が違うヨーロッパならではのスポーツ文化だということを思い出した。

特にサッカーは1点の重みが尋常でなく重く、ゴールが入るか入らないか、は梅崎選手ではないが、人生の天国と地獄そのものだ。

一方で「審判」は自分の目で見ていないものを認めるわけにはいかない、というのはまさにその通りだ。それが明らかな誤審だとしても。

スポーツの勝負とは、偶然の余地も大きく、特にサッカーの場合はこの確率が高い。だからこそスリリングになっているわけで、VARが導入されたスペインリーグの「正しい確率」は上がったけど、ゴールかどうかを判定する「間」のなんと興ざめなことか。

同じくVARを決勝トーナメントから採用しているチャンピオンズリーグでのマンチェスターシティのスターリングの幻のゴールも然り。

ということでVARではなく、ゴールの判定だけは柔道みたいに複数の審判を用意してその場の即決でゴールを決めるというようなスタイルでもいいし、今でも一部採用されている「ゴールラインに専用に人を配置している方法」でも十分だということだ。