日経新聞が、特集「令和の知をひらく」と称して新進気鋭の論者を紹介しているが、中でも応仁の乱で有名な歴史学者の呉座勇一さん、コンビニ人間で有名な作家の村田沙耶香さんのコメントは大変面白かった。
両者とも真理や価値の相対性をまずは認識し認めあおう。そしてそのために「こうしよう」「こうしたい」と呼びかけているように感じた。
例えば、呉座さん曰く「大学で教えていると学生から習ったこと(=教科書の内容)と違う」という声がよく上がるそうです。情報の更新に目を向けず「絶対の正解」を求める姿勢を問題視しているそうです。
これは学校教育の弊害かもしれないが、何事も「○か×か」で教育を受けてしまってそれで評価され更に試験勉強もするもんだから、なんでも世の中「正解と不正解」で判断しがちということでしょう。
特に人文系の場合は、正解という尺度では判断できないことも多く、何が良くて何が悪いのか、ということも絶対なものはない。
村田さん曰く「人間の本性と考えれらているものは、実際は社会によっていつの間にか植え付けられた考えに過ぎないかもしれない。そう気づき、違和感を持つことは私はネガティブに捉えていない。違和感があるというのは、眠っている自分の意思があるということだから」。
結局、特に同調圧力が強い、言い換えれば同じ価値観を強要するのが染み付いた全ての世代(特に若い世代?)の日本人社会は、このような意見も未だ少数意見。もちろんこれはアメリカでも他の国でも「分断の時代」として世界的な傾向かもしれない。
とはいえ、これからは一つの考え方に凝り固まらず、一旦立ち止まって相手を理解しつつ「受け入れたり」「取り入れたり」「一方で守ったり」という柔軟な姿勢も持ち合わせられたらと思う(自分も世の中も)。