間主観的確信とは | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

竹田青嗣先生の第2回聴講で更に現象学への理解が深まった。

この回で印象的だったのは「間主観的確信」という概念。

所詮人間は自分の外に出ることはできないので、自分の視点から、個々の他の人がこう確信しているという確信を確信していく、これが間主観的確信で、普遍的確信につながっていくものだ。

例えば、キリスト教福音派の人々は、彼らの間で「人工中絶は悪」という間主観的確信を持っている。

阪神ファンの人たちは、阪神ファンの間で「阪神の勝利=喜び」という間主観的確信を持っている。

近代の最大の発見とも言える科学的思考に基づく仮説(例えば1+1=2など)は、この間主観的確信によって、普遍的確信となっている。

しかしながら、今回改めて感じたのは、間主観的確信という概念が、全ては個人の視点からの確信であって、絶対真理ではないということ。

これは普遍的確信も同じことで「1+1=2」は誰から見てもそうとしか思えないことではある(=普遍的確信)ではあるものの、所詮人間は自分の外には出られないので絶対的真理かどうかは、原理的な証明はできない。でも自分(=現存在)から見ると、間違いなく全ての人が「1+1=2」だと確信しているということなのだ。

だから、間主観的確信は、普遍的確信の段階はもちろん、共同的確信においてもその確信の構造を表しており、これは現象学ならではの「革命」的概念で、本当にその通りだなあと改めて今回の聴講も感動しきりだったのです。