人体 失敗の進化史 遠藤秀紀著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

動物解剖学の視点から動物の進化を論じた本。進化のツリーの構造がなるほどなという感じ。生物があらゆる環境で生き残るための軌跡が今の生き物たちの成れの果てだというのがよくわかる。

時間という概念が、今の生き物たらしめているというのも、これを奇跡というのか、結果としてこうなっただけというのか?それは勝手に人間が評価したいだけのこと。あるがままですね。

生き物が適用させてきたのではなく、様々に変化した身体のの変化のバラエティーの中で、環境に適用したものだけが結果として絞り込まれたという言い方のほうがいいのかもしれない。


人間の女性の一生は、実は哺乳瓶の発明によって劇的に変化したという。
昔のホモ・サピエンスは、哺乳瓶がないために、お母さんの授乳によって子供を最長3年ぐらいは育ててることになる。この間妊娠は身体の構造上できないのだから、哺乳瓶発明以前は、女性は4年間は妊娠が来ない状態。したがって妊娠できる上限を35歳とすると、20年間で最大5人産めるという設計になっている。哺乳瓶が発明されたことによって、人間は授乳期間を劇的に短縮させ、妊娠のサイクル=月経のサイクルを人間の一生の中で劇的に増やすことが可能になった。だから現代人は以前の人間に比べて月経が頻繁に来てしまうのだという。そして子供を産む行為が今のように制御できるわけもなく、ありのままの姿は人間を産む行為のみ。

そうやって考えると、女性の一生というのは近代になって初めて生物学的にも子供を産む作業から解放されたということか。

さて、著者は非常に情熱的な方で、ちょっと世の中をネガティブに捉えている点も興味深い。

確かに学問の価値と経済的付加価値が完全に正比例するわけもなく、正比例する学問だけにお金が回って行く社会を嘆いている。それでも人間の本質的な欲望である知的欲求というものの価値を信じ続け、自ら闘う学者と称している著者の心意気には感服する。

しかしながら、そんな著者が人間が自然を破壊しているというのは、摩訶不思議な発言だ。

人間も自然が生み出した自然の一部であり、人間の活動も自然の結果だ。そこに彼自身も主張するところの「評価」は無い。

人間以外の自然が人間によってそのかたちを変えられた結果、人間が生きられない環境に変わり、人間がそのまま絶滅するのだとしたら、それは人間=ホモ・サピエンスという種が他の多くの絶滅した生き物と同じように絶滅するだけで、だからどうだということ。

今の自然を守るかどうかは、それは人間の「評価」によって変わるものであって、それ以外の何者でも無い。

人間を主語としてとらえ、人間がいつまでも快適に住める環境を維持するために自然をできるだけ保全する必要があるというのなら説得力がある。

日本のコウノトリが1970年代に絶滅したその原因は、明らかに人間という種の活動。そしてそのコウノトリが復活して再び日本の空を舞うのも、明らかに人間の活動によって。

人間の都合によって、自然が変わって行くだけのことだ。人間という種が今後も生存して行く限りそれは変わらない。