「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」という出だしで始まる小説は、アルベール・カミュの『異邦人』です。
1月9日に、私の母は亡くなりました。
その3日前に会った時は、普通に話していたので、こんなに突然に旅立っていくとは思いませんでした。
自宅で、眠るように安らかな顔で、微笑んでいるような感じでした。
本日、葬儀を執り行いましたが、いまだに実感が湧きません。
棺の中の母は、今にも目を開けて、話をするのではないかと思いました。
生きている間は、認知症の母に何回も同じことを聞かれて、何回も同じことを言い、ちょっとイラッとしたりもしました。
日が暮れると頭の中が混乱して、父のことを分からなくなり、
「知らないおじさんが家の中にいて、怖くてたまらないの。お迎えに来てちょうだい」
という電話がかかってきたこともありました。
娘のことも分からなくなり、
「あなた誰?」
とよく言われました。
そういう言葉をもう聞くこともできないのだと思うと、本当に寂しいです。
家族葬で、本日、葬儀を行いました。火葬場が大変混んでいて、なかなか葬儀を行うこともできなかったのです。
キリスト教式で葬儀を行いました。
母はクリスチャンではなかったので、天国で驚いているかもしれません。
母の親族、父の親族、母の友人数名に見送られ、きっと安らかに旅立ったことと思います。
この一週間は、いろいろなことを考えました。
母は、自分の寿命がもう少しで尽きることを分かっていたのではないか、、、
母にイラッとして、厳しい口調で話してしまったけれど、もっと優しく言えば良かった、、、
1月6日に実家から帰る時に、母は、
「明日は来る?明日の何時に来る?明日来れないなら、明後日は?明後日の何時に来る?」
と聞きました。
どうして、7日も8日も行ってあげなかったのだろう、と思うと、悲しくて悔やまれてなりません。
大事なことは、先延ばししてはいけないのだと思いました。それが、母からの最後のメッセージなのでしょう。
お母さん、ありがとうございました。
