こんばんは。
本日も真夏日で熱中症で搬送された方のニュースが流れました。
どうぞお大事にして下さい。
今日は予備校の第3回目の答練。答案練習の略です。
この呼び方は、司法試験の受験対策から来ているのかなあ、と思います。
出来はさっぱり、ガッカリ。
帰り道の田舎の景色を眺めながら、トボトボ、トホホな気分で歩いていました。
かつては、大勢の買い物客が来て賑わっていたところがありました。
中心となっていたスーパーが経営統合され、近隣のスーパーとグループ会社となり、その店はなくなりました。
これを機に、この場所は寂しい感じになり、人通りも少なくなってしまいました。
残っている菓子店、薬局、パン屋さん、洋品店などは、いずれも個人の経営と思われます。
経営者も段々と高齢化していくと、果たして事業を継いでいく人がいるのであろうか、いらん心配をするのです。
福祉大国と言われるスウェーデンは、世界に冠たる大企業が多いそうです。
国の政策として、産業競争力を高め、結果として豊かな税収がもたらされるようになったそうです。
アメリカも6割方は大企業です。
一方の日本は、事業数でいうなら、99%以上が、中小企業もしくは個人経営です。
海外から輸入された会計基準は、海外で事業展開する上場企業には必要でしょう。
例えば、継続企業の前提について。
企業は永遠に継続していくことを前提としているから、人為的に会計期間を区切るのです。
しかし、個人経営のビジネスでは、永遠に継続していくとことを前提にするのは、難しいと思います。
かつて、キリスト教の教会総会に出た時、牧師が建物や備品の減価償却を全く行っていないから、今年は半分に簿価を減らしたという説明をしました。
私がそれなら、その分は費用として計上しなければおかしい、と発言しましたが、誰一人として理解できなかったようです。
別に会計的におかしくても、困らないのだからいいのかもしれません。
しかし、会計基準とそれを知らない人達とのギャップがあまりにも大き過ぎる気がします。
人はパンのみに生きるにあらず、
とイエス様は教えています。
現代の、特に政治家や経済界は、あまりにも経済価値にすべての基準を求めているように思います。
中庸があってもいいと思うのですが。
いかがでしょうか?
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