日蓮主義と平和 | イトウフミヤスのブログ

ちょっと過激な文章になるかな、と思います、

政治的なことを書こうと思っています。

 

よく、「政治と宗教の話はするな」といいますが、

その両方にからむ話です。

 

私自身、今の世界情勢・社会情勢をみて、思うところがあります。

 

私は日蓮宗を信仰しています。これは私の親戚が、

日蓮宗の寺院を運営しているからであり、

信仰の理由は、それ以上でも、それ以下でもありません。

 

私は運命論者です。ここで書くのは初めてですね。

「人の人生は運命のように、あらかじめ決まっている」という考えを

運命論といいます。

 

一方で、「人生は不確定で、たとえば、サイコロをふって、出た目に従って、

そのたびごとに人生の決断をするようなものだ」、

「何でも起こりうるし、その中で今の生き方は

確率的に、ランダムに選ばれて、決まる」というのが、確率論者の考えです。

 

どちらが正しいか、分かりません。どちらもありだと思います。

 

私は、日蓮宗の信仰は、私はまさに運命的にあらかじめ決まっていて、

日蓮宗と関わるように、「生」を受けてきた、と私は考えています。

 

日蓮宗を信仰した戦前の軍人で、「石原莞爾(いしわら かんじ)」という人がいます。

 

石原は、天才的な軍事策略家として、名をはせた軍人です。

戦前の旧陸軍に所属し、東条英機と激しく対立していたといいます。

 

終戦で、東条英機がA級戦犯になり、その東条英機と対立していたため、

石原は戦犯になることは、免れます。

 

石原は、日蓮宗の教えを拡大させ、「東亜連盟」という

「アジアはアジアのための国として、植民地から独立を果たし、

独立したアジア各国は連携して、経済的に共に栄えよう」という考えの持ち主でした。

 

また「世界最終戦争論」という本を書いたことでも、有名です。

世界最終戦争は、超巨大な2か国が戦争を行う。軍事技術の発達により、

一瞬で、決着はつくだろう、という主張です。

 

こう書くと、石原は陸軍軍人で、中将まで昇進した策略家でもありましたし、

結構危険思想家のようなイメージをもちます。

 

そんな石原は戦犯になりませんでしたから、故郷の山形で、余生をすごすのですが、

そこで、後世への遺言という形で、映像を残しています。

 

その映像の中身はこうです。

「日本は戦争に負けた。新憲法にも書いてあるように、もう戦争はしない。

するべきでない。仮に、世界のどこかで、戦争がおきようものなら、

世界の平和的な国家と一致団結して、戦争をやめさせ、世界でもう二度と

戦争が起きないように、日本として、名誉ある役割をしめるべきである。

そのために、相当の覚悟が必要なはずである。

 

戦争をやめさせ、海外(主にアングロサクソン)の商文化に依存せず、

日本だけで、十分に経済をまわせて、立派にやっていくことを示すべきである。

軍事力ではなく、そういう精神性で、日本人は世界で1番になるべきである。」

 

これは戦後、石原が日蓮宗の教えと自身の知見をまぜて、

考えた、石原独自の後世への遺言だったと言われています。

 

同じく日蓮宗徒だった宮沢賢治は、

有名な「雨ニモマケズ」の詩のなかで、

次のような言葉を残しています。

「北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」

(北の方向に住んでいる人で、喧嘩や訴訟をして争っている人がいれば、

争いはつまらない結果を生むから、やめたほうがいい、と言ってきかせ。)

 

「雨ニモマケズ」の詩は、宮沢賢治が亡くなる前に、

残した人生の指針で、日蓮宗の教えの影響を強く受けた、

と言われています。

 

私はたまたま日蓮宗徒ですから、こういう平和思想と

結びついた教えを、見つけ出せたのですが、

結局、どこの宗派も、仏教なら平和主義だと思います。

 

あの天才軍事作戦家だった、石原でさえ、終戦後は

非戦を唱えていました。

 

石原莞爾は、現代の保守政治家に人気の軍人で、石原を主人公にした

小説もあります。

 

でも、その尊敬する石原が、平和主義を後世の日本人に説いていたと、

知ったら、現代の保守政治家は、どう思うでしょうか?

 

イメージだけで、好戦家だと思っている方は多いと思います。

でも、やはりイメージ上のことで、それを超える知見をもっていないのです。

 

ネットの情報だけでなく、もっと深く、書籍を読み解く力を養ってほしいものです。

そうしないと、間違った知識で、

せっかく尊敬している偉人の根本的な考えを、逃がすことになります。

 

ちなみに私も、護憲派であり、非戦派の理想主義者です。