イトウフミヤスのブログ

本日市内の総合病院へ行きました。

父の認知症の受診です。

 

久しぶりにMRI検査、そして「認知機能の検査」がありました。

 

MRI検査の結果、父は歳相応の脳ではない、

歳より老いた人にみられる脳だ、と言われました。

とくに「海馬」が小さくなっている点などが、

その証拠として、医師からご指摘を受けました。

 

次に認知機能の検査ですが、30点中21点でした。

23点以下が認知症ということになっているようです。

前回の検査の際はギリギリ認知症でしたが、

父が本格的に認知症の世界にはいっているかどうかは、

21点で決定的になりました。

 

父は3月に退院したときから、医師や看護師さんから

車の運転をとめられています。

スマホでも電話のかけ方をわすれてしまったようです。

 

それで外の世界や情報に触れない状態になり、

認知症が進んだようです。

お医者様がおっしゃるには、ある程度外部からの刺激は必要とのことでした。

 

結果としては、定期的に総合病院へ通うこと、

そして、認知症をおくらせるお薬が処方になりました。

 

気休め程度で、服用します、と私も母もお医者さんにお話ししました。

認知症を遅らせる薬といっても、効く方と効きが悪い方がいらっしゃるようですので。

 

これからどういう生活になるか、分かりません。

私に限って言えば、家の仕事、農作業・・・そしてペーパードライバーだった車の運転も

再練習できればいいな、と感じております。

 

 

前回の記事投稿から、1年以上時間が空いていますね。

筆不精ですみませんでした。

 

実は、昨年の2月、3月に母が入院しました。

これは人工股関節置換手術という、骨と関節の間の

軟骨がすり減って、軟骨がなくなった状態で、かなり痛いものらしいです。

そこで、人工関節にして、関節と骨との間にいわばクッションを入れるような手術でした。

 

手術しても、母は昨年の秋くらいまで、足に違和感があると申しておりました。

でも昨年の冬あたりから、慣れてきて、まずまず生活はできています。

 

ただお医者さまから、「重いものを持ってはいけない」、「前かがみになってはいけない」、

「内股になってはいけない」などなど生活における注意点をあげていただきました。

 

そこで、ある程度の家事は私がやることになりました。

ごみの分別とゴミ出し、お風呂掃除、階段の掃除、2階の洗面台とトイレの掃除、

床や壁などを拭く作業、生ごみをコンポストにいれ管理する作業などなどです。

 

私自身は家事が一気にふえて戸惑いもありましたが、

何とかやりきっています。家事をはじめて1年以上経ちますが、

何とか続いております。

 

話は変わり、今年の1月に大事件がありました。

ここは雪国ですから、冬中積雪があります。雪積もった今年1月に、

父が雪ですべって、コンクリート床に頭をぶつけて、一時意識を失うという事故がありました。

父は救急車で県立病院へ運ばれ、入院。

診断結果は外傷性のクモ膜下出血と、それにともなう血管性認知症と診断されました。

 

1月中旬から3月中旬まで長期間の入院となりました。

入院中は家族がみても、「父はおかしい、いつもと違う」という言動がありました。

 

認知症の検査はギリギリ認知症。結果認知症の初期で、

公的なサービスを受けるための、介護認定もうけました。

 

父は認知症初期で以前のような「感じ」ではなくなりました。

意欲を失ってしまったといいますか、やることが面倒に思えてしまうのか、

なかなか本人が「こうしよう」と思っても、行動にうつせなくなりました。

 

物忘れもひどくて、勘違いも多くなりました。

それでも、病院へ通院しながら、自宅で生活しております。

 

私も父の生活のサポートにもちろん関与しています。

目下父母が今までやっていたことを、私がサポートしながら、やるという形になっています。

父母を見て、「老い」というものを率直に体感しておりますが、ただ「頑固になった」というより、

父母が「何を望んでいるのか」・・・これを第一に考えるようになりました。

 

意識がはっきりしているときに、父母が「こう言っていた」、「ああいうことがあった」ということを、

思い返すと、うっすらと父母の「希望すること」が見えてくることがあります。

 

介護というのは調子が悪くなってからでなく、元気なときの一挙手一投足からすでに

生まれているんだという認識を強くしました。

 

長文をご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

私は運命論者です。あらかじめ「こういう人生をあゆむはずだった」と

ある程度の道すじをもっていて、

今生で生をうけて、修行をしているのだと思っています。

 

もしかしたらこういう考えは違うのかもしれませんが、

ここ8年くらいはずっと「運命論者」です。

 

 

今日は仕事について、その仕事について、神様から呼ばれたという話を

書きたいです。

 

私が高校に入ったとき、県下で一番偏差値が高い高校からある先生が

私の母校に赴任してきました。

その先生は1年間に担当した1クラスで、4人も東大に入れたという

実績を持っている先生でした。

 

実はその先生はもともとは、高校教師になるつもりはなかったそうです。

授業をしながら、折に触れて閑話休題みたいな話をされる先生でした。

 

その先生は本当は大学院に行きたかったんだと、

でも学部をでたとき、親御さんが学校教諭に道を勧めるので、

単位も教員になる分はとっていたので、

無勉強で、教員採用試験を受けたのだそうです。

ほとんど教員になる気はなかったそうです。

 

教員採用試験の結果は不合格。

大学を卒業して、悶々と過ごしていたそうです。

 

そしたら急に電話がなり、それは県の教育関連の部署から。

「〇〇さんの教える教科で、先生が急にひとり必要になりました。

繰り上げで合格になります。何月何日から赴任してください」と。

 

 

その先生は教員採用試験に不合格とはいえ

次点だったのです。

 

なぜ先生がひとり足りなくなったか・・・それはそこの高校の先生で

若い男性の先生だったらしいですけど、その高校のある街の老舗の和菓子屋さんの

娘さんと心中してしまった、というのです。

 

その心中された若い男性の先生は一人っ子でした。そして和菓子屋の娘さんも

一人娘で婿養子をもらわないといけない立場だったそうです。

 

恋愛は相思相愛だったそうですが、両家のご両親の反対で、

その間で苦しんで、心中されたのでそうです。

 

そこが日々悶々とした気持ちも払しょくされ、

高校教師に目的と目標を見出し、

教育技術をめきめきと上げ、県下一の高校にいき

最終的には計20名も東大に入れたそうです。

 

これは仕事に関して、神様に呼ばれたケースなんじゃないかと思います。

 

心中という不幸な出来事ではありましたが、

それがかえって気をひきしめて、受け持った生徒さんを

亡くなった先生の代わりに

しっかり教育するという決意へと変えさせました。

 

実はこういう話は本当によく聞くと思います。

私自身も、あと3、4つの似たような話を知っています。

 

こういう神様に呼ばれた話、それで天職を得た話って

何だか不思議だなあと思います。

 

こういうことがあるため、自分は「運命論者」になってしまったのかもしれません。

 

生きれいれば本当に不思議な導きって、感じますよね。