前回の続きを書く前に、今回はワンクール入れたい。
ブログを始めて早くも4日が経った。
私は話が長いかも・・いや長い。
初回からまるで”伝記でも書くんかい”ってな調子でスタートしてしまった(笑)
長いし読みにくいよなぁ、ちょっと反省。
去年母を亡くしてから色々思う事があって、まずは自分探しをしてゆこうと始めたブログ。既にインスタグラムで「深堀りプロフィール」なるリール動画を作っていたので、その辺りに沿って書いている。が、ついつい横道にそれそうになるこんな私を許してちょうだいませ。
躁状態の時だけ母を好きな山奥で暮らしてもらう計画はほぼ成功したものの、父が倒れてしまった。
そして私にも大きな出来事が起きて職を変えたり、と自分の事で精一杯になってしまった。
でも言い訳だよね、そう。頑張ればもっと母の所へ会いに行けたはず。
あ、もうひとつだけ言い訳を書いちゃうと、私は第一子妊娠中につわりの吐き気で通勤中の満員電車で吐きそうになった恐怖から、急行電車やトンネルなどすぐに出られないという状況でパニックになる「広場恐怖症」になっていた。
母の住む山へ辿り着くには、いくつもトンネルをくぐらないとならない。
自ら運転して行くのはかなり危険だった。
とても信頼出来る人の助手席にのり、半分寝た様な状態でなら短いトンネルはクリア出来たので、そんなラッキーな時には母に会えた。
母に前もって行く日にちを伝えると、あれもこれもしてあげたいとヘトヘトになるまで料理なんか用意してくれちゃって、挙句にはハイテンションになりすぎて病状が悪化するので突然「来ちゃった」作戦で会いに行っていた。
だが、これはちょっと冷や冷やする賭けだった。年間通して躁状態になったり普通のテンションだったりを繰り返していたので、見事にヒットしてしまう時もあった。
そんな時は諦めて、「町へ歌いに行きましょう」という母に引きずられるように
母の行きつけのお店に連れて行かれ、そのビブラート強めな唸り声に拍手を送り続けることになる。
聞きたくない音楽を聴かされ、感動しているふりをするのが大の苦手な私は(みんなそう?)
目はどんより肩は落ち、口角だけ上がった怖い顔だったんだろうなぁ。
そうでない日に会えた日は、普段出来ない買い物に付き合ったり、育てている花を見せてもらったり穏やかに過ごす。
「お母さん、この辺は熊も出るって聞いたよ。毎日一人で怖くない?」
・・・あえて「淋しくない?」とは聞かない。・・・
「全然怖くないわよ、人間の方がよっぽど怖いわ。
私は大好きな山に住めて、花も咲いてて、ラジオ聞いたり本読んだりして、やりたいことが出来てるのよ。今とっても幸せ。」
淋しくないはずはない。
8才で孤児になってからずっと一人で生きてきて、淋しいのに慣れっこになっていたのかもしれないな。それでも淋しいからよく私に電話をかけてきたんだろう。
その癖「もう忙しいでしょ」と私を気遣ってすぐに電話を切ってしまう。
淋しそうに思われる事や、子供に心配をかけるのは絶対嫌、普段の母はそんな母だった。
だから「お母さんは強いね、すごいね、」って言うようにしていた。
強く有るほか無かったんだろうなぁ。
次回は、今度こそ救急外来から電話がかかってきたお話を。