優しかった母が、急に偉そうな庄屋どんばりにキャラ変を遂げてから

恐れていた高校受験に差し掛かった。

母は案の定こう言った。

 

「県立高校なら行かせてあげるけど、私立高校はダメ。落ち止めに私立高校を受けるのも行かせるつもりはないからダメ。」

 

「へ?今時みんな落ち止め受けるんだよ?」

 

「人は人。」

 

そして母の基本理念であるこれを言い放つ。

 

「中学卒業だって十分生きていけます!」

 

「そうかもだけど・・・」

 

私は担任に事情を相談した。その担任の先生はサッカー部の顧問でナイスガイ度の高い先生だった。

「お前頑張ってるからちょっと不安はあるけれど、●●女子高狙って欲しいんだけどなぁ」

「私も行きたいです。でも万が一落ちたら・・」

「行くわ、お前んち」

 

来ましたよ、先生。

「お母さん、お気持ちはわかりますが、本人頑張ってるんで何とか落ち止めの高校も受けさせてやって下さい」

するとあっさり

「はい、わかりました。」

 

・・・多分このナイスガイ度合いにやられたな、いや100%やられたな。

 

これで一件落着・・じゃないんだなぁ。

人生は思い通りにはいかないと思い知る不合格発表の日。泣きながら帰宅すると

母は落ち止めの高校への入学金を鼻息荒く用意してくれ、その足で私たちは都内の某私立女子高へ30万を納めに行った。

その帰る道すがらの寿司屋に入ると「好きなもの頼みなさい」と母は言う。もちろん鼻息荒め。

喉をとおらないばかりか、母の気が変わったら、ここに住みこみで働くかもしれないと想像し店内を真剣に見つめていた。

 

卒業式を終えた頃、担任から電話で「県立の●●高校の定員割れが出たぞ、あそこならまあまあ進学率もいいから」と。なかなか定員割れにならない高校だったので、迷わずそこに通うことになった。30万・・ごめんなさい・・

 

母の鼻息は荒いまま高校生活を送っていた。前回書いた「お手伝い」という名の「ほとんどの家事」の濃密さは増していった。

「働かざるもの食うべからず」論は母の中では掛け軸にしたいほど君臨していて、ちょっと洋服が欲しいからと始めたフードコートのアルバイト代は「学費にお金かかっているから」という名目で全て没収された。あ、部活のジャージだけは買わせてもらったっけ。

 

料理の腕も多少は上がってきたので認められ、たまに弟に食べさせたいとグラタンやクッキーなど作ったりすることもあった。バターは無いのでマーガリンで作ったがそこそこ美味しかった。家事の中では料理が一番良かった。美味しい、と喜んでもらえたからかなぁ。

 

さて、母の鼻息は最初家庭菜園に向かっていたが、段々「山野草の会」なるものに参加し始め、お次は好きな歌を歌う「カラオケサークル」なるものに矛先が変わっていった。

そして毎朝、好きなシャンソンを大音量でかけるようになり、それに合わせて歌う・・それはまるで人造人間キカイダーのギルの笛(知ってます?)のように私を苦しめ・・っていうかジャイアンリサイタルそのものだった。

 

それだけならまだいい。私は唯一母の好きなピアノを習わせてもらっていたが、母の歌の伴奏をさせられるのだ。母は感情をこめすぎ、ritなんていうレベルでなくリズムが狂う。合わせられないでいても、気付かないのかお構いなしに続ける。

 

うぅぅ・・たまらなく不快だ・・まだ劇薬のクリーム洗剤で床磨きえしている方がマシだと心から思った。だって楽しそうにしなけりゃいけない。止まらないビブラート、吠えてるのか?何かの民族音楽か?もはやどこを歌ってるのかわからない。一応楽譜を見ているふりはしているが、ページをめくっていない事に気付いておくれよ、おかあさん・・

 

この鼻息荒い母は、夜な夜なレッスンと称して生ピアノで歌わせてもらえる高いお店に通うようになり、誉めてくれたお客さんにお酒をおごり、とにかく父がいくら働いても間に合わない様になった。挙句の果てには「私はパリに行って本場で歌ってきたい」と言う始末。ご近所様にも随分迷惑をかけた様だ。本当に申し訳ない。

 

私は何とか高校を卒業し大学進学は諦めて学費無料の都立の保育士養成所に進学し、学校紹介の激安な寮に住み、夜はコンビニでバイトをしながら事実上自立することにした。お父さん、弟よ、ごめんなさい。家事から解放はされたが、心にはいつも母のその心配が付きまとっていた。

 

母のキャラ変の異常なスピード感に追いつけないまま、家族は困惑していたが、転機が訪れた。保育士学校の心理の授業で「双極性障害」なるものを勉強した。

「お母さんこれじゃない?」

父に相談し、病院に連れていくことになったが、当の本人は

 

「あなたたちが診てもらいなさいよ、私はとっても調子が良いんだから」と。

 

「じゃあ、みんな診てもらおう」と嫌がる母を家族三人で強制的に入院させた。

 

翌朝面会にいくと、抑制帯を付けられた母が呆然と力ない姿で寝ていた。昨日までの元気はすっかり無くなり、顔色も青く、「なんでこんなことしたの」との抗議も

ろれつが回らない。強い薬を打たれたとのこと。

家族三人、罪悪感と切ない思いで涙が溢れてくる。

 

血液検査でバセドウ病も発覚したことから、この病状についてはっきりと診断がつかなかったが、躁状態にあることは間違いなかった。生い立ちの事も関係あるだろうしとのことだったが、日常生活を送るには投薬が必要とのこと。病院と薬を極度に嫌う母へは説得もむなしく、病識も持てず、退院すると二度と通院してくれなかった。

そして入院させた家族に恨みを持つようになった。

 

必要に迫られ同じように強制入院を三回繰り返した頃、父が言った。

 

「もうやめよう。これ以上続けたらお母さんの心身はボロボロになってしまう。」

 

「じゃあどうするの?」

 

「いいことを思いついたんだよ。」

 

 

次回は新たなる父の試みのお話を聞いて下さいね。