こんばんは。

1期の愛理です。

 

突然ですが、

 

実は明日から名古屋に行く予定でした。

 

でも、熱が下がらず明日の名古屋行きは断念せざるを得なさそう。

 

飛行機が変更もキャンセルもできず、

今金銭的に余裕のないわたしにとって数万円が無駄になるのはちょっとイタイ。

 

これが300円とか3000円くらいだったら、当然自分のカラダが大事!とキャンセルしただろうなあ。

 

んーでもでも、結構前からみんなに予定空けてもらってたのになあ。

 

どうしよう。もはや明日には熱が下がっていることを神頼みするしかない!!!

 

なんて、考えていたんだけど、

 

ふと我に返りました。

 

色んなことが重なって、明日の名古屋行きが決まってて、また色んなことが重なって今この瞬間がある。

 

こういう時っていつも最善なんだけどなあ

 

なんでだろう?

 

 

そんなことを思っていたら、

 

最近わたしはずっと「お金が」って言っていることに思い当たりました。

 

わたしの父は、仕事人間で、たぶん娘との関わり方が分からなくなったくらいからずっと今に至るまで、「お金」や「物」を与えることで愛情表現してきたように思います。

 

当時は、「お父さんはお金だけ与えとけば良いと思ってるんだ」と怒っていたわたしですが、いつのまにか

 

大事にしてくれる=わたしのためにお金を使ってくれる

 

という思い込みが出来上がっていたようです。

 

つまり、わたしにとって「お金=愛情」だったのです。

 

ずっとお金を通して、愛されていること、大事にされていることを確認しようとしてきました。

 

愛されているかどうかが不安で、おごってもらったり、プレゼントをもらったりした時の「金額」で愛情を測っていたと思います。

 

愛されたくてお金に執着していたのです。

 

 

なんか、、、意地汚い感じですかね?

 

そんなことを考えていたら急に、お金と愛情は関係ないんだなあと腑に落ちました。

 

わたしはずっと愛されてきたんだと

父の愛情に気づいた瞬間でもあります。

 

愛情表現は人それぞれ

 

父は他の愛情表現を知らなかっただけなのです。

 

このたった1つの気づきのためだけに色んなことが起こって、色んな人の顔が浮かび、本当にありがたいなあと思います。

 

みんなに会えないのは悲しいけど、明日はゆっくり寝てようかなー

でもやっぱ残念だな

 

あっぼやきが入ってしまった

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

愛理