読むと10倍楽しめる!フィリピンスタディーツアー完全ガイド!第8回 | アクセス東京支部メンバーのブログ

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こんにちは!
東京支部の長老、みかですみかん

長~~~いことお待たせしましたm(_ _)m
スタツア連載第8回でございますキラキラ

これまでは、スタディーツアーで訪問する各訪問地の紹介と、内容としては貧困という問題を中心に書いてきました。

そして今回はこれまでと少し内容が変わりまして、『第二次世界大戦時のフィリピンと日本』についてのお話です。


第二次世界大戦時、日本は1941年から4年に渡ってフィリピンを植民地として支配しており、この当時殺害されて現地フィリピン人は約110万人と言われていましす。
ツアーでは、『加害者としての日本』を知り、考えられるようになっています。
簡単ではありますが、ツアーで実際行く場所と、そこで私が感じたことを今回は書かせていただこうと思います。



①サンチャゴ要塞
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この要塞は、1600年代にスペインがフィリピンを植民地としていた時にスペイン軍によってマニラ中心部に作られたものです。日本の植民地時代には、日本軍によって捕らえられたフィリピン兵や政治犯ら約600名が地下牢獄に投獄され、日本軍撤退後に餓死した状態で発見されたそうです。

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この写真がその地下牢獄


②バターン死の行進
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バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜約7万6000人が、収容所への約60キロのみちのりを歩かされ、多数死者がでた出来事を「死の行進(通称:デスマーチ)」と呼ばれています。炎天下の中、水も食料もほとんど与えられず病気になったり餓死者が出たりしたと言われています。
写真はその道のりに立てられた記念碑です。


③赤い家と性暴力被害者の方たち
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日本軍の駐屯地であった通称:赤い家、ここでは日本軍によって村を襲撃され、連行されたフィリピン人女性たちが監禁され、さらに日本兵によって何度もレイプされました。
戦後50年、当時被害を受けた彼女たちはやっと過去を話すことが出来るようになり、被害者団体を組織しました。現在も、加害責任を認めない日本政府に対し、公式に謝罪がされるようになるまで戦い続けています。

ツアーでは、この赤い家で、実際に被害にあった方たちにお会いし、当時のお話を聞かせていただきます。
私も話を聞きましたが、やはり同じ女としての立場で聞いていたので本当に辛かったです。話の中では、繰り返されるレイプ行為を苦に自殺した人もいたという話もありました。肉体的にも精神的にも計り知れない苦痛を受けたのだと思います。赤い家の中で話を聞いたのだけれど、きっと被害にあわれたみなさんはこの場所に来るのも苦痛だったんだろうと思います。(自分だったら、絶対いやだもの。)


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多くの日本の学校では、授業で第二次世界大戦の勉強をすると、加害者としての日本よりも、被害者としての日本のことがより多く取り扱われているような気がします。(もちろん、全ての学校でとは言いませんが。)

このツアーでは日本がどれだけの加害行為を行ってきたかを知り、知った上で私たちは今後どうすべきかということ考え、学ぶことができると、個人的には思っています。









それでは、今回はこの辺で!

次回は第9回!フィリピンの文化について触れてみようと思っております電球

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