こんにちは。
前回のカミングアウトから早くもしばらくぶりになってしまいましたね。
結論から申し上げますと生きています。
そして今までにないくらい元気です。
もともとうつ病患者だったから今回の「元気」も
躁鬱なのかな、と
初めは思っていた。
でも約3か月間パニックを起こすようなこともなければ
ネガティブになること(私生活に支障をきたすように続く事)もないので
こうしてやっと言うことが出来ます。
自分は知りました
うすうす感づいてはいたけれど
やっと受け入れることが出来ました。
自分には親がいなかった。
その事実を受け入れたことで
急に心が晴れて
急に感情の起伏がなくなって
急に大人になった気がした
今までも何度もそう感じてはいたんだ。
だけどどこかに
「親なんだから」
という言いようのない圧迫感と
「そんなこと思ってはいけない」ということが脳裏を過って
一方では親を否定して
一方では親という唯一無二の存在を受け入れようとしていたのかもしれない
そして
そんなことを思うのは自分が自分に特別意識を持っているだけであって
結局自分は世の中にたくさんいる「自分が誰よりも不幸」という人と変わらないんだ
と常に
心のどこかで言い聞かせてきた。
だけどついにその時は来たんだ。
私には住む家があった
私には常に食事があった
私は学校へ通った
衣食住、何も困りはしていなかった
だから私は自分で自分を不幸に見立てていただけなんだ
と思っていたことがもろくも音を立てて崩れ去ったときがあった。
私は現代の日本に生まれ育った
これに気づくまで自分は発展途上国の考えだった。
家があるだけ幸せじゃないか
毎日食べ物があって幸せじゃないか
学校に行けてまともな家じゃないか。
違う
戦時中ではない、現代の日本ではそれが当たり前で、「親=保護者」というのは子供にそれらを与えなければいけない「義務」があったのだ。
家がある
食事がある
学校へ行ける
そんな考えはもはや発展途上国の幸せであり
日本では「子供にとっては当たり前すぎるお話」だったのだ。
そこに「感謝」とか「幸せ」というのはまた違うのだと知った。
「でも現代では特にそういう当たり前の状況ですら与えられない子供たちも沢山いるよ」
と言われるかもしれない
そうだけど違う
それは違うと国が言っている。
見つかり次第「保護責任者放棄」とされてしまう。
見つからない事例も沢山あると思う。
だけど「こんなにたくさんいるんだから」ではなくて
こんなにたくさんいるのと見つけられていない
ということも含め
見つけられればすぐに通報しないといけない。
家がない
食事がない
学校にいけない
そういう子は今日本でも増えている
ではなくて
家がない
食事がない
学校にいけない
そういう子がいたら通報しないといけない
助けられる義務があって
親や保護者にバツが与えられる
それが現代の日本。
家がある
食事がある
学校に行けた
それらを与えていたのであれば仮面でも「親/保護者」と出来、通報はされない。
日常的に暴力で制していたとしても子供が訴えなければバレないことも多い。
自分は
自分以外の人は実質母親しか知らなかった。
「鎖に繋がれた象」であって
体力的に逃げられることが出来ても精神的に逃げることが出来なかった。
母親しか知らないので母親に見捨てられることが怖かった。
高校3年生の頃
夏休みが明けて親友からが突然無視されるようになった
何度聞いても答えない
周りの友人に聞いても誰も答えない
酷いと思っていた。
部活が一緒で、みんなが憧れて夢見てきた「関東大会」にも一緒に行った
だけど翌年みんなが憧れていて夢見てきた「合宿」にはいかなかった。
うちは貧乏で、母親にお金を出してもらうのが申し訳なくて
「3年生になったんだから部活は後輩に任せて身を引くべき」と、合宿は行かなかった。
中学の先生の言いつけを守ったことにもなる。
自分たちが3年生になったら部活は引退し、2年生と1年生の時代として身を引け。1年と2年の時代に3年がうろつくと、後輩が遠慮してしまう。
うろつかないように最後に思う存分体力使い果たせ。
と、考えられないほどのメニューを組まされた。
それが引退練習だったんだけど
自分はその考えが凄く良いと思った。
高校3年での合宿はそんなことを理由に行かなかった。
本音ではお金がなかったからなんだけど。
だけどそれ以降親友が一切しゃべってくれなくなった。
ずっと落ち込んだ。
卒業も一人だった。
ずっと落ち込んだ。
あれから四半世紀経って気づいた。
もしかしたら親友は合宿前に何度かうちに電話してきたのではないか、と。
そしてうちの母親から何か言われてしまったのではないかと。
合点した。
そう思うのには過去にもいくつかそういうことがあったからだ。
それに気づいたのは40を過ぎてから。
自分はずっと人におびえてきた。
どうせ友達になっても
自分では分からない何かが原因で嫌われるのだろうから深入りはしたくない。
友達なんて捨て駒に過ぎない、その時楽しければそれで良いんだ、嫌なことがあったらリセットリセット。
そう生きてきた。仕事をしても何かが原因で人と仲たがいして「イメージと違う」とよく言われてきた。
嫌になればすぐに辞めて別の仕事をすれば良いや
ずっとそう生きてきた。
好きな仕事を見つけて楽しくて休みもなく頑張っていたら身体を壊して医者から
「仕事を続けるということは死を選ぶということだよ」
と言われて泣く泣く夢だった仕事を捨てた。
それから本当に動けなくなった。
定職に就かず派遣の道を選んだ。
案の定人とはうまくいかない。
だけど派遣先得を変えることによって仕事は続けられた、日は経った、年数が経ち、それなりに仕事が出来る人と見られるようになった。