川崎大師という名前自体は平間寺(へいけんじ)の通称であって、その土地の名ではない。しかし「川崎大師」はそのまま京浜急行の駅名にもなっており、また地名として大師町、大師本町、大師駅前といった名もあるうえに公園にまでもその名が付けられるほどだから、このあたりの土地と文化に密接に結びついている名前だと言える。

 

その川崎大師で、またしても凶悪な事件は起こった。「川崎臨港署」の名を聞いて俺はすぐに10年前の事件を思い出したよ。

 

 

川崎市川崎区在住の岡崎彩咲陽(おかざき・あさひ)さん(20)が昨年暮れから行方不明になっており、家族から行方不明届が出ていた。神奈川県警捜査1課などが4月30日に岡崎さんの元交際相手の男性の同区内の自宅から一部白骨化した遺体を発見したと発表。県警は死体遺棄事件として捜査を開始、遺体の身元確認と元交際相手の所在確認を急いでいる。 

事件を軽視していた神奈川県警

 
さすが世界一やる気ないで有名な神奈川県警だ。しかも被害者やその家族が届け出、通報していたのが、あの川崎臨港署だというじゃないか。

 

 

川崎市で20歳の女性が行方不明になっている事件で、警察の対応に問題があったとして女性の関係者が警察署を訪れ、抗議の声を上げるなど一時騒然となりました。

 

 【画像】川崎市の川崎臨港署を訪れた行方不明女性の関係者ら 

 

 行方不明になっている川崎市の岡﨑彩咲陽さんは、去年、ストーカー被害を警察に相談していたことがわかっています。

 

 岡﨑さんの父親は「SOSを出したのに警察が軽くあしらってしまったのではないか」と訴えていて、神奈川県警川崎臨港署には親族や関係者など50人ほどが訪れ、ストーカー被害の対応に当たった警察官と話をさせるよう求めるなど抗議の声を上げました。 

 

 一時は署内に無理矢理入ろうとした関係者と警察官ともみ合いになるなど一時騒然となりました。

 

10年前、同じ川崎大師近くの多摩川河川敷で、当時中学1年生だった上村遼太君18歳前後の少年らにより刃物で殺害されるという事件があった。犯行を行った少年らは遼太君と一緒にゲーセンや公園などでツルんで遊ぶ仲間だったが、主犯格の18歳・少年Aが遼太君に頻繁に暴行を働くなど、決してまともな友人関係ではなかった。

 

遼太君は殺害される2月ほど前にもAから暴行を受けていたが、そのことを知った遼太君の友人らが怒り、Aの自宅に大勢で押しかけて騒ぎになった。この時、Aの家族の通報でやってきたのが川崎臨港署の警察官だ。しかし驚くべきことに、署員は遼太君からの「今は仲直りしているから大丈夫」との一言を受け、「上村」という苗字を確認しただけでそのまま帰ったと言う。

 

 

川崎市川崎区の多摩川河川敷で中学1年、上村遼太君(13)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された18歳の少年による上村君への1月の暴行をめぐり、知人らの間でトラブルになった際、神奈川県警川崎臨港署員が上村君本人から「殴られた」と聞いていたことが3日、同署への取材で分かった。

 

同署によると、トラブルがあったのは事件8日前の2月12日。上村君への暴行をめぐり、18歳の少年宅に昼ごろ、知人らが集まった。少年の家族が「押しかけているので帰らせてほしい」と110番した。

 

駆け付けた署員に、少年宅前にいた一人が「友達の弟の友達が殴られた」と伝えた。署員が中に入り18歳の少年に話を聞くと、殴ったのを認め、上村君の名前を出した。

 

このため、まず少年が上村君に電話をして話をし、その後、署員に代わった。上村君は署員に「1カ月ぐらい前に殴られたけど、仲直りしているので大丈夫」と話した。複数の知人によると、上村君は少年から暴行を受けておびえていたといい、本音を言えなかった可能性がある。

 

署員は上村君の名字は確認したが、名前は聞かず、そのままになった。

 

同署は「普通のトラブルとして扱った」としている。〔共同〕

 

数多の推理小説が示すとおり、事件の解決に最も必要なのは想像力だ。当然ながら事を未然に防ぐという意味では、それがさらに重要な力となっているはずである。その力のかけらもないような組織があたかも警察署みたいなツラをしているとしたら、それは市民にとっては迷惑以外の何物でもなく、この際徹底的に追及して木っ端みじんに叩き潰してやった方が将来の糧になるんではないかと思う。

 

ちなみに今回のストーカー殺人犯は28歳ぐらいだという。10年前に遼太君を殺害した犯人は18歳だった。コイツらおそらく同い年だろう。川崎大師、いったいどうなってるんだ?

 

昨夜、ネット徘徊していて気になる記事を見つけた。

 

 

なんのことはない天声人語なのだがw

 

俺はWeb版朝日の有料会員では勿論ないんで、この記事全文を読み取ることは出来ない。しかし無料でも目にすることの出来る最初の数行に、興味をそそるワードは散りばめられていた。

バチカンのサンピエトロ広場の北側「風の塔」と呼ばれる高い建築物がある。観光客でにぎわう美術館から見上げられる場所に位置するが、非公開なので気づく人はほとんどいない。16世紀後半に、時のローマ教皇グレゴリオ13世の命で建てられた▼20年ほど前に聖職者の招きで、塔内の「暦の間」を見せてもらったことが… 

 

「風の塔」というのは初めて聞く名だ。どういう訳だかその名に妙に興味をそそられた。場所はサンピエトロ広場の北側とある。だがバチカンの領域のなかでサンピエトロ広場は東側に飛び出したような恰好になっており、その北側にはローマの街との境界線が延びているだけだ。そんな場所に果たして「高い建築物」なんてあっただろうか・・・

 

勢いグーグルマップをあたってみたが、案の定それらしきものは見当たらない。

 

「もしや、サンピエトロ広場ではなく、サンピエトロ寺院の北側ということなのではないか・・・?」

 

少々アバウトに推理を巡らせて、システィーナ礼拝堂とか、その北側の縦に長いバチカン美術館の付近を見回してみたが、「風の塔」「高い建築物」「美術館から見上げられる場所」といった刺激的なワードに値するようなシロモノはマップ上では確認できなかった。

 

仕方ない、自分の足wで探すのはあきらめて「風の塔 バチカン」でググってみる。予想の遥か上を行く情報の少なさに戸惑いつつ、Wikipediaの「バチカン天文台」を紐解いた。

 

バチカン天文台の起源は、1578年から1580年にかけて建設された「トッレ・グレゴリアーナ(イタリア語版)」、通称「風の塔」にさかのぼる。これは、教皇グレゴリウス13世によって進められた暦の改革に必要な天文学的研究を行うために建設されたものである。風の塔では、太陽の南中高度が測定された。

 

とある。要はグレゴリオ暦の導入にあたり太陽の南中高度を正確に読む必要があったことから「風の塔にバチカン天文台を設けた」ということのようなのだが、実際にそれがどこにあったのかはWikiの記述では定まらなかった。

 

風の塔は天文台の出発点となったが、その後はバチカン教皇領外にあるコッレージョ・ロマーノに観測拠点が移され、さらにもとの場所でも天文台が再開されるなど紆余曲折経た後、街の光害を避けるためローマの南南東25kmほどにある教皇庁離宮ガンドルフォ城に移設されたとのことだ。現在も天文台の本部はガンドルフォ城にあり、Wikiに載る天文台ドームの画像もこの城のものとなっている。

 

さて、そんなさまざまな事情は解ったが、肝心の風の塔はどこにある(あった)のだろうか?コッレージョ・ロマーノもガンドルフォ城もバチカンの外の建造物であり、サンピエトロ広場であれ寺院であれ「その北側にある」という天声人語の記述とは大きくかけ離れている。

 

こんな調子じゃ、一晩中グーグルとコンクラーベか?w

とかなんとかふざけた思案を運びながらも案外ドンピシャの解説を施したページにすぐさま遭遇できた。なんでも「天文を中心に」情報を集めたサイトらしい。やはり餅は餅屋だ。

 

 

バチカン天文台といえばカステル・ガンドルフォ…というイメージですが、1935年に同地に移転するまで、バチカン天文台は文字通りバチカン市国(ローマ教皇庁)の敷地内にありました。 

 

おー、そうなのか! で、それはいったいどこに⁉

 

ウィキペディアの「バチカン天文台」の項【LINK】には、その歴史が書かれていますが、ちょっと記述がゴチャゴチャして分かりにくいので、他のソースも交えて、自分なりに整理しておきます。
 
まず、バチカン天文台の前史として、16世紀の暦法改革(=グレゴリオ暦の導入)のために、太陽の南中高度を観測する作業が、「トッレ・グレゴリアーナ」、通称「風の塔」で行われた…ということがウィキには書かれています。
 
「風の塔」とはまた素敵な名前ですが、この「トッレ・グレゴリアーナ」、英語でいえば「グレゴリアン・タワー」【LINK】の位置は下のような感じで、サン・ピエトロの北側になります。

 

なるほど上記引用元にはグーグルマップの画像が載せられていて、風の塔の位置が示されている。思っていたような塔のイメージとは異なり、これが「それ」なのか?となってしまった。ここはまさに、最初に当たりをつけて探した場所だ。なのに見つけられなかったのは無理もないだろうと思った。下に改めてマップのスクショ画像を載せてみる。

 

 

左上の赤丸の中がどうやら風の塔らしい。画像は真上が真北を指している。右下の広場がサンピエトロ広場だから、やはり「広場の北側」という天声人語の記述はミスリードに近いように思う。せめてシスティーナ礼拝堂の北側とでも書くべきだろう。

 

ちなみに画像右方面から塔を正面に見たスクショが下だ。

 

 

確かに美術館から見上げるような位置にはあるが、礼拝堂や寺院に比較すると高さでは明らかに劣っていて、こんな塔で南中高度の測定が行われ、それがグレゴリオ暦に繋がったと言われてもにわかには信じがたい気もする。天声人語の記述では塔の中に「暦の間」というものがあるらしいのだが、その名は先ほどの天文台を解説したサイトにも出ては来なかった。

 

ともあれ、突如としてその名が気にかかった「風の塔」の場所だけは探り当てることが出来た。天声人語にこれが載ったのは、いわゆる「復活祭」の日だった。肺炎で休養していた教皇フランシスコがサンピエトロのバルコニーに登場する絵を予期するように書かれたものなのかも知れないが、まさかその翌日に教皇死去のニュースが流れるとは思ってもみなかったはずだ。

 

もちろん、それもローマカトリックの長い歴史の一遍となるわけだが。

 

というわけで、俺がいつも書く内容とはずいぶんと違う系のものになったが、まぁたまにはということで。

個人的には正直どうでも良くて、まったく関わりたくも無いような話なんだが、世の中のバカがみんな結局最後こうなるのはいったいどういう訳なのか?

そこはちょっとだけ興味がある。

 

 

辛坊氏は「私はこの万博、メタンガスで爆死するリスクを犯しても行くべきだと思う。夢洲は元はゴミの埋立地だからメタン発生のリスクはどこでもあるが、大量に検知されてるのは大屋根リングの内側からはかなり離れている場所。こんな重要な事実をわざと伝えないメディアって終わってるよねー」と自身の考えをつづった。 

 

この記事、タイトルで「その理由も説明」となっているのだが、爆死のリスクを冒すべき理由が「検知されているのは離れている場所だから」というのでは全然意味が通じてないし、まったく何の理由にもなっていない。

 

「万博意味ねー」「くだらねー」「無駄すぎるー」の大合唱になんとか勝ち越したいという気持ちが先行するのか知らんが、バカの行動原理は昔から決まっていて、もはや趣旨も因果関係もすっかり無視した強弁に走るようになるんだよな。

 

メタンガスで爆死するリスクを冒しても行くべき、の本当の理由は何なんだよ?

 

なんだかもうズタボロすぎて、見てるこっちが恥ずかしくなるんだが。