ひろゆきが吐き捨てるように綴ったこの言葉は、御巣鷹山でJAL123便の機長が墜落を覚悟した時の一言そのものだ。

 

 ひろゆき氏はこの件について「選挙期間中に、みずほ銀行エコノミストが首相発言を非難という特異な事象。『日本の未来の為に円安容認を止めなければならない』という覚悟の結果だと思うが、長い文章を読めない人達が円安容認を支えている」と独特の表現で見解を記した。

 

 そして「『これは、ダメかも分からんね』」とつづった。 

 

もう、この国の「墜落」を覚悟した。

ひろゆきはそう言いたいのだろう。俺も今まったく同じ気分でいる。

 

なぜ人々が長い文章を読めないのかと言えば、思考がロジカルでなく、きわめてエモーショナルだからだよ。

 

こんなふうに。

 

 

「中道改革連合や共産党、れいわ新選組だけでなく、国民民主党も参政党も高市さんを批判しました。高市さんが“真冬の総選挙”を発表した時は、世論調査で解散に反対する回答が過半数に達していました。ところが衆院が解散されて野党各党が高市さん批判を強めると、逆に“高市推し”の有権者が増えたと私は見ています。『高市さんは一生懸命、頑張っているのに、野党は批判するだけ』と受け止めたからです。野党の高市批判は、むしろ高市支持層を分厚くし、結束を固める結果に終わったと思います」(同・高市氏)

 

 選挙戦の中盤になると「統一教会」、「消費税12%」、「高市逃げた」──など高市氏を批判するキーワードがSNS上で広く拡散した。だが、今のところ高市人気は揺らいでいないように見える。

 

「『一途で健気で一生懸命』というイメージが高市さんを守ったのは、『高市逃げた』の議論だったと思います。高市さんが2月1日のNHK『日曜討論』を欠席すると、『統一教会の問題などを追及されるのを嫌がって逃げた』との批判が殺到しました。ところが高市さんが『関節リウマチの持病がありまして、手が腫れてしまいました』と説明すると、今度は“高市推し”の有権者が『病気に苦しんでいる人を不当に攻撃するなんて、政治家とは思えない』と逆に批判する事態に発展したのです」

 

これも三浦瑠璃が言っていたのと同じ趣旨だ。

 

高市には真に批判されるべきロジカルな理由が有るにもかかわらず、人々の目にはれいわ大石のような傍若無人な立ち回りの方がエモーショナルに映ってしまう。

 

長い文書は読めない。読めてせいぜいXのポストか、それよりも圧倒的に「インスタ映え」に心を動かされる。

 

そんな人々に、みずほ銀行エコノミストのリポートなんてまったく無意味だろう。

 

俺が今までここで何度も書いてきたように、世の人々は事実とデータに基づく論理よりも、その時の感情好き嫌いで物事を判断するんだ。これもまた再び書くが「兵庫県の問題は対岸の火事なんかでは無かった」ということ。それが我々の国の実態であり、事実上の限界なのだ。

 

これは、ダメかもわからんね。

相変わらず次から次へとバカを発見する装置が超優秀だ。

 

 

TRFのメンバーでダンサーのSAM(64)が5日、SAM(旧ツイッター)を更新。衆院選(8日投開票)の立候補者らの“舌戦”について私見をつづった。 

 

へぇ~、SAMがSAMを更新したとw 

バカについて報道すると文章までつられておかしくなるらしいな。

 

「政治的な思想とか特にないけど」と前置きした上で、「いろいろみてて感じるのは 高市さんは決して他党を批判しない」と言及した。 

 

「そこにはネガティブな悪口や、誰かを貶める誹謗中傷一切なく自分たちの政策を真っ向から伝える真摯でポジティブで清々しい空気が流れてる」と私見を述べ、「人が人を信用する時にはこう言う空気感が伝わって気持ちが動くんだよなぁきっと」とつづった。

 

これはまたずいぶん思い切っちまったじゃないかww

 

自分の言ってること、本当にわかってるのか?

 

どんなにテキトーな経済論をぶち上げてようが、

無責任な裏金野郎をどれほど公認してようが、

関係を否定したはずのカルトとどれだけ繋がってようが、

そんなことは一切関係ありません。

私はとにかく「空気感だけで」人を信用するんです。

あなたたちも、きっとそうですよね?

 

オマエはそう言っちゃったんだぞ?

 

それって、要するにステルスな扇動だからな?

 

テメーと同じように自分のアタマでは何も考えないヤツらを、ヒラヒラ躍らせながらごっそり連れ去るあの「笛吹き」みたいなものなんだからな?

 

マジでこんな風に無責任で無駄に声のデカいヤツが一番困るんだよな・・・

 

将来的にこの国がとんでもなくおかしくなって、戦争に巻き込まれてボロボロになったとしても、こういうヤツは悪びれもせずにこう言うだろうよ。

 

「いったい誰がこんな国にしたんだ!」

 

とかってなww

 

誰がって、共犯者のオマエらがに決まってんだろ。

 

 

しかし、バカってのはなんでこんなに発信したがるのかな。。

 

素晴らしすぎる。

こんな子供が居るのなら・・・そして一人でも多くなって行くのなら。

 

パトラがこの額縁を描いたの。
 
私は「茶色」1色で描くんだと思ってた。
だけどパトラは色んな色で表現した。
 

感性が本質を捉えたのだろうか。

思想にも濃淡はある。極右も居ればカジュアル右翼も、なんちゃって右翼だって居る。

しかし、それがやがて一様に濃くなって行く未来が見えたとしたら。

きっとどんな茶色だって危ういだろう。

 

パトラが書いたあらすじ…
 
じわじわと迫る茶色― 
 
最初は 猫のみに「茶色」を守るという理由で茶色以外の猫が処分される法律ができるが
やがて犬も猫と同様になってしまう。
 友人のシャルリーは犬を、主人公は猫を「仕方がない」と処分し、新い茶色のものを飼う。
 
 やがて新聞も「茶色新報」とかしかなくなり図書館の本も「茶色 」がついてないとだめになり、会話するにも「茶色」をつけなければいけなくなった。
 
 ある日、シャルリーが前は黒い犬を飼っていたからと自警団に連行され、翌日に「茶色ラジオ」が
「時期はいつであれ法律に合わない犬あるいは猫を飼った事実がある場合は違法となります」
というニュースを流す。国家逆罪になるらしい。 
主人公は茶色の朝をむかえる、、、、

 

じわじわと迫って来る。「茶色ではないもの」が反○分子とされる。

考えてみれば我々の環境はすでにそうなっているじゃないか。

 

ことさらに恐ろしさを感じるのは、この話がフランスで書かれたということだ。

フランスは自ら「自由の獲得」に成功した国だぞ。その国をしてこの有様だよ。

 

ならば我々の国のように、歴史上民衆が自らの力で何かを手にした経験を持たず、事あるごとに指示された「一色」に簡単に染まるよう教育された人々の社会は、いかにもこの話のように「じわじわと」茶色に変色して行くリスクを常に負っているはずではないか。残念なことに、過去の失敗もまったく同じように、自ら陥ってむかえた朝だったはずだ。

 

願わくばこの子たちが、その感性をもって食い止めて欲しい。

 

どういう訳だか自分たちだけは自由を手離さずに居られると、なんの根拠もなく信じ込んでいる「茶色たち」に、いやもうとっくに茶色に染められているじゃないかと、あとはただ濃くなって行く一方だぞと、徐に言い聞かせて気づかせてやって欲しい。

 

それはもうきっと、大人には出来ないことなのだろうからな。