八木秀次は典型的な右派論客だが、この記事で言ってることは実に正論だと思う。
立憲民主党の政治家たちは中道改革連合の結党時点で「リベラル」を捨てたと言って良い。
立憲は安保法制反対、集団的自衛権の行使は違憲だという軸で結党したような政党だが、中道結党にあたって「安保法制は合憲だ」と言い換え、結党の理念を否定。その理由も説明しなかった。もともとの支持者も当然、呆れる。
立憲がリベラルを捨てたから、リベラルな有権者もまた中道を捨てた。そうして出た結果が「あれ」だったというだけのこと。
その後中道は未だに先行きが定まらず、本来あるべき思想の「受け皿」として返り咲くには程遠い。実質的にリベラル有権者は今後も迷走せざるを得ないだろう。
今でも一定の割合の人がリベラル層と見ていい。しかし、その層が投票する政党が今回の選挙でなくなってしまった。
私の立場から言えば、今の状況は"まとも"なのだが、社会全体のバランスという観点で言えば、リベラル層の政治的意見を反映させる場がないというのは、必ずしも健全とは言えないだろう。自民党が316議席で、厳密なリベラルは共産党とれいわ新選組の5議席。それ以外の政党も、右寄りなところばかりだ。そうすると衆院の465議席中460議席が右。これはあまりにも極端だ。
俺は何度か書いているとおり、自分を右とも左とも思っていない。生粋の「反権力」指向である。俺が危惧するのは、
・民衆が政権に対し、必要以上に(余計な)権力を与えること
・権力の膨れ上がった政権が暴走し、民衆がそれに追従すること
の2点だ。これらは互いに相関し循環する関係にある。一方が他方をさらに引き上げて互いに加速させるため危険極まりないのだ。この循環を避けるためには徹底して「権力を削ぐ」指向性が必要となる。
現状で俺はリベラルな思想を持っているが、たとえ今後リベラル政権が樹立されることがあってもやはり「反権力」な姿勢に変わりはない。民主主義社会において重要なのはイデオロギーではなくその「運用」である。民衆は権力の腐敗を見逃してはならず、決して見くびってはいけないのだ。
権力の暴走を防ぐには健全な議場の運営が必要だ。バランスを保つべきだという八木の主張は俺の立場ともリンクする。
権力が集中すると、慢心して権力が腐敗する。リベラルの考え方自体は、健全とは言い難いところがあるが、健全な政治を行なうには、批判勢力は必要だ。リベラルのような批判勢力が大きいことは問題だが、あまりにも小さいと権力が健全に機能しなくなる。
参議院があるとはいえ、参院で否決されても衆院の3分の2で再議決すれば法案は通る状況が生まれた。参院が良識の府として機能するのは、事実上、衆参ともに3分の2の賛成が必要な憲法改正発議だけとなった。これもまたある意味で危機と言えるだろう。
きわめてまともな事を言っていると思うが、ひとつ引っかかる点があるのも事実だ。それは、
リベラルの考え方自体は、健全とは言い難いところがある
という一文。この文句、読めば読むほど味があるじゃないか。
「健全とは言い難いところ」とは、いったい何のことなのだろう?
実は俺にも心当たりがある。
理想を掲げるだけが取り柄の政党が、やすやすと寝返りを打って転げ落ちてしまうような今の時代、現実の不安と向き合うために、いったいどんな「藁」をつかんだら良いのだろう?
リベラルはこの問いに対する答えを、果たして用意出来ているだろうか。若しくは、これから見出すことが出来るのだろうか。
理想論だけではミスリードに成りかねない、新たなフェーズに入った気がする。
