素晴らしすぎる。

こんな子供が居るのなら・・・そして一人でも多くなって行くのなら。

 

パトラがこの額縁を描いたの。
 
私は「茶色」1色で描くんだと思ってた。
だけどパトラは色んな色で表現した。
 

感性が本質を捉えたのだろうか。

思想にも濃淡はある。極右も居ればカジュアル右翼も、なんちゃって右翼だって居る。

しかし、それがやがて一様に濃くなって行く未来が見えたとしたら。

きっとどんな茶色だって危ういだろう。

 

パトラが書いたあらすじ…
 
じわじわと迫る茶色― 
 
最初は 猫のみに「茶色」を守るという理由で茶色以外の猫が処分される法律ができるが
やがて犬も猫と同様になってしまう。
 友人のシャルリーは犬を、主人公は猫を「仕方がない」と処分し、新い茶色のものを飼う。
 
 やがて新聞も「茶色新報」とかしかなくなり図書館の本も「茶色 」がついてないとだめになり、会話するにも「茶色」をつけなければいけなくなった。
 
 ある日、シャルリーが前は黒い犬を飼っていたからと自警団に連行され、翌日に「茶色ラジオ」が
「時期はいつであれ法律に合わない犬あるいは猫を飼った事実がある場合は違法となります」
というニュースを流す。国家逆罪になるらしい。 
主人公は茶色の朝をむかえる、、、、

 

じわじわと迫って来る。「茶色ではないもの」が反○分子とされる。

考えてみれば我々の環境はすでにそうなっているじゃないか。

 

ことさらに恐ろしさを感じるのは、この話がフランスで書かれたということだ。

フランスは自ら「自由の獲得」に成功した国だぞ。その国をしてこの有様だよ。

 

ならば我々の国のように、歴史上民衆が自らの力で何かを手にした経験を持たず、事あるごとに指示された「一色」に簡単に染まるよう教育された人々の社会は、いかにもこの話のように「じわじわと」茶色に変色して行くリスクを常に負っているはずではないか。残念なことに、過去の失敗もまったく同じように、自ら陥ってむかえた朝だったはずだ。

 

願わくばこの子たちが、その感性をもって食い止めて欲しい。

 

どういう訳だか自分たちだけは自由を手離さずに居られると、なんの根拠もなく信じ込んでいる「茶色たち」に、いやもうとっくに茶色に染められているじゃないかと、あとはただ濃くなって行く一方だぞと、徐に言い聞かせて気づかせてやって欲しい。

 

それはもうきっと、大人には出来ないことなのだろうからな。