前の記事では公益通報者保護法について「法の論理性」の観点から、その必要となる前提をもって兵庫県庁の不適切さを指摘したのだが、現実の世論においては例の通報行為が「公益通報に当たる」「いや当たらない」というように見解が大きく割れており、明確にそのどちらであるのかといった結論が出されている訳ではない。
今回は少し視点を変えて「法の実効性」という観点から、この法律が抱えている様々な「欠陥」について指摘してみたいと思う。
実のところ当該保護法は非常に建付けが悪く、保護法としてその実効性を担保するのに必要な規定があまりにも多く欠けている。一連の告発文書問題において綺麗にフォーカスの定まった見解がスパッと出て来ないのも、この法律の「明文で規定されない部分」において、その解釈にブレを生じさせるような曖昧さに大きく影響を受けているものと考えられる。
以下、目立つ欠陥を一つずつ見て行こう。
欠陥① 通報者の探索を禁止する満足な条項が無い。
え?まさか?と思っただろう。当該保護法はあくまで1号通報(内部通報)を前提としており、内部に通報受付窓口が設けられた想定になっている。「従事者」と呼ばれる内部通報を処理するための担当を必ず置くこと、その従事者が通報事実に関する内部調査により、たとえ通報者を特定する情報を得たとしても決して漏洩してはならぬこと(改正法12条)など一応規定されてはいるものの、2号および3号通報(外部通報)においては、通報者の身元情報がどう守られるべきなのかについてまったく規定が無いのだ。また、兵庫県庁のケースのように、県庁幹部など「従事者」に該当しない者が直接通報者の探索(犯人探し)を行う事への規制においても明文が存在しない。これでは外部通報を経由して事業者の内部調査につなげるという過程において、いったいどのように通報者が保護されるべきなのか見当もつかない。
欠陥② 3号通報(その他外部組織への通報)を受けた組織(報道機関など)が通報対象事実をどう扱うべきなのか一切の規定が無い。
これは本当に驚くべき欠陥である。通報先窓口として法律で規定しているにも関わらず、その外部機関が何をどうしなければならないのかがサッパリ判らない。事実、告発文書問題のケースでも、当初外部に向けて配布されたという「怪文書」がその先の機関においてどう扱われたのか、なぜその直後に、通報対象事実を孕む側の兵庫県庁がその文書を入手出来たのかなど、その経緯に纏わる合理的な説明がまったくない。これは、通報先外部機関が実際どうすべきなのかという指針が法的に示されていない事実に大きく依存した結果なのではないかと思う。問題の通報は結局、適切な形式をもってその「真実相当性」を検証されることが一切なく、兵庫県庁によって直接「犯人探し」に繋げられて、通報者の保護という当該法の意図はまったく反映されずに終わった。
欠陥③ 当該法にはその違反にかかる罰則規定がなく、仮に通報者がその行為を理由に不利益となる扱いを受けたとしても、その事実を通報者自身が立証し法廷で争う必要がある。
保護法として成立させる上で最も大きな欠陥はこれではないだろうか。当該保護法における「保護」はあくまで事後的な救済規定でしかなく、通報者はたとえ正当な手続きに則って公益通報を完遂したとしても、その結果「不利益な扱いは許されない」といった文言を得るのみで、実際に不利益な扱いを受けた場合は自ら訴訟を起こし、立証して事実認定されなければ「保護」は受けられないということになっている。リスクを冒して通報する身からすればこれほど高いハードルもないだろう。個人が組織を相手に訴訟を起こすことがどれだけ困難か。この建付けを見るに、当該法は事実上、通報者の保護を真に意図したものではなく、組織が「通報されるような事案」を抱えないよう前もって留意させるのが目的の、あくまで予防的法理に基づく措置に過ぎないのではないかと訝らざるを得ない。
以上、主に目立つものとして3つ挙げてみたが、見たとおり当該法は現時点で欠陥だらけである。
さすがに、これだけの欠陥があればその解釈にも大きくブレが生じるだろう。告発文書問題において大方の一致を見るような明確な見解が未だに出されてないのも、見る側によって恣意的に解釈されかねぬ、当該法の曖昧さがあるからだ。
しかしながら、法とはその趣旨を具現化するための秩序体系である。その施行目的と時代の要請とに敵うよう、常に整理され周知されるべきものなのだ。だからこの法律があくまで「保護法」と銘打たれた以上は、「何人(なんぴと)たりとも通報者の保護に努めるべし」との明確な趣旨が、その背景となる社会全体で共有されるようでなければならないのだ。組織的不正が社会的公益に反するのは自明の理であり、我々が我々自身の利益を守るうえでの、それが当然の帰結なのである。
さすれば仮にも県知事のような権力者は、如何に法の建付けが曖昧であろうとそれを自己を利するための道具とはせず、あくまでその法の趣旨に則って権力を行使すべきなのである。もしも斎藤に、告発文書にあったような非が本当に無かったのなら、あの通報をたとえそのまま放っておいたとしても、保護法の仕組みの中で真実相当性無しと判定されれば自ずと潔白も証明されたはずだろう。それを待ってから通報者の処分に転じたって、少しも遅くはなかったはずだ。その意味で、斎藤が何かに焦って当該法の曖昧さを利己的に扱い、独断をもって拙速に事を進めてしまったことは、リーダーとしての適性を欠いた大きな過ちであったと明確に言えるのだ。
ただいずれにせよ、当該法はその「保護」の文脈をより際立たせるため、さらなる法改正が明らかに必要だろう。これほどに実効性の無い規定である上に、斎藤らの振る舞いによって既にそれが証明されたようなものなのだから、法の趣旨に鑑みればこのままの状態で放置されて良い訳はないのである。
どうにでも解釈出来る法律の存在など、秩序の代わりに混乱をもたらすだけだ。