兵庫県知事選挙の結果について。
俺個人としては、人々があたかもインスタ投稿を次々にフリップしながら流し見するようなノリで、真に重要な情報には一切気を留めることもなく、目や耳から入ってくる猥雑な情報にどんどん流されて行く光景を目の当たりにしたと思っている。
パワハラが有ったのかどうか。おねだりが有ったのかどうか。
その真偽は現時点で不明であり、選挙においてまったく判断材料にはならないものだ。万が一それで判断しようと思うのなら、結局「どちらを信じるか」の話になってしまう。マスメディアを信じるか、SNSを信じるか。
しかし、どう考えてもそれはバカげた話だろう?
俺はここで何度か書いたが、信じるというのは考えるのをやめるということだぞ。何故に自らの思考を捨て去って、真偽不明の情報を信じるか信じないかだけで主権を行使するなんてバカをやる必要があるのか。
はじめからこの選挙には、確実な論点はたった一つしか無かったはずだろう。
それは、公益通報制度が適切に扱われたかどうか、この一点だよ。それに関する情報以外に、確実性の有るものなんて何も無かった。そして、その一点に関して言う限り、斎藤らによる制度の扱いは明らかに不適切だったんだ。
権力者によって公益通報制度が不適切に扱われるのがどれだけ罪深いか。人々はこの重要な論点を、どうして、これほどに「ぼんやり」としか考えられなかったのだろうか。
そして、パソコンに私的な情報が置かれていたとか、不倫を示す証拠があったとか、どうしてそんなどうでもいい言説に、いとも簡単に振り回されてしまったのだろうか。
仮にその言説が事実だったにせよ、それは斎藤らが問題のパソコンを押収するという、そもそもが交益通報制度を無視した行為よって知り得た事実であり、逆に言えばそれを知ったという事自体が斎藤らによる不適切行為の証明となっているに過ぎない。
当選する気も無いのに立候補したとか言うどっかの暴露系YouTuberもどきが、いくら誰の音声を公開したところで、斎藤らの行為を正当化出来るような理由は一つも挙げることが出来ないのだよ。百条委員会で「不倫内容の公表」を制止されたのは組織的隠蔽だとか言う戯言もあったようだが、戯言どころか寝言にも程がある。
これらの寝言はすべて、大元である公益通報制度の問題から目を逸らし、論点をすり替えるためのレトリックだ。どうしてこんなレトリックに引っ掛かり、大勢が扇動されてしまう結果に陥ったのだろうか。
もしかしたら、大手メディアの一斉追及を浴びて四面楚歌となった斎藤の姿を見て、急に哀れに思えて来たというのもあるかも知れない。
メディア側が既得権と手を組んでいるのではないかという、これはまぁ、まんざら虚構とも言えない懐疑も手伝ったのかも知れない。
しかし、そんなことで目の前にある重要な論点から簡単に目を逸らしてしまうのだとしたら、如何に人々が単なるイメージに左右されやすいか、如何にSNSに乗せられやすいかを示す証左にしかならないだろう?
この選挙結果がもたらす禍根は恐ろしいものだぞ。
組織はそのトップを起点として公益通報制度を粗末に扱い、自ら情報源を特定するようなあるまじき行為をなしたとしても、民意が許す限りそれで構わないということになったのだからな。
斎藤は自身の公益通報制度の扱いについて一貫して「適切だった」と言い張っている。兵庫県の有権者は、それにお墨付きを与えてしまったというわけだ。
マスゴミがどうだとか、SNSのデマがどうだとか、そんなことはどうでもいい。市民が挙って公益通報制度を亡き者とし、それが自分で自分の首を絞めるような結果になることすら想像も出来ないという、あまりにも悲しき世相を我々は見せられているのだよ。
この国のなんちゃって民主主義は、人々が僅かに残った「事実上の論点」をやすやすと見過ごし、信じるか信じないかで大方の物事を判断するという状況に至って、いよいよ真にポピュリズムの様相を纏い始めた。SNS上の「信仰」は激化こそすれ沈静など有り得ぬことを思えば、この状況はもはや民主主義への余命宣告だと言っても過言ではないのかも知れない。
同じ構図でJ-NSCを使って扇動させまくったアベちゃんも、民主主義を葬り去るという意味では「先見の明」があったんだろうな。