全く同意出来ないね。現時点で何を言ってもそれは憶測でしかない。憶測でモノを言って良いというのが己の正義感から来ているのだとすれば、そもそも何か勘違いしているか、基本的に理解が浅いとしか言いようがない。

 

 

「松本さんは非常に社会的に影響力がある方なので、事実関係については争いだけれども、例えば『お礼LINEは別に合意の証明じゃないよね』とか、『性的同意は大事だよね』とか。そういうことを言えるはずですよね。で、みんなでも当たり障りない、『事実関係はわかりません』っていう風に、テレビに出る人がそれだけを言う」 

 

それは一般論だから言ってもいいだろ?というつもりなのだろうが、そんなコメントは松本に対して負のイメージを纏わせようというムーブメントにしかならない。まったく逆に、「お礼LINEしてるんだったら合意があったんじゃ?」とか、「性的同意と言っても、8年前の話じゃ・・・」などと言うのも同じことで、今度は証言者に対して負のイメージを纏わせていることになる。いずれにしても事実関係を無視した印象操作に加担するだけだ。

 

さらに「事実関係はわかんない。それはそうなんですけど」と前置きしつつ、「その先まで言わなくちゃいけない。それについて話すところから始めなくちゃいけない」と、コメンテーターの役割を主張。「当たり障りないコメントを、ずっと社会が、いろんなとこで繰り返しされてきたから、旧ジャニーズの問題もそうですし、それを我々自身がみんな見逃していた」とし、「今回も同じことを繰り返しちゃいけないなっていうのを思いますよね」と訴えた。 

 

やはり勘違いしているようだな。旧ジャニーズ問題は「コメントの出し方どうのこうの」の話ではない。そもそも問題の存在自体が報じられずに、意図的に無視されていたんだ。話題にすらのぼらないのにコメントのしようが無いではないか。今回のケースに重ねるならば、文春が報じてもテレビが一切報じなかったのなら同じことが言えるだろう。だが今回はすでに一斉に報じられて事務所が反論コメントを出し、何よりも法的手段を取る前提で本人が休業宣言している。そんな状況で当事者の印象を左右させるような役割を「どうでもよい外野」に要求するというのは一体どういう了見なのか。

 

人は自分の立ち位置から見た景色によって支配される。真実を知らぬ者が見る景色にはなおさらその拍車がかかる。何か言おうにも「見たままの景色」から感じた事しか出て来ないのだよ。つまり、人の言い分はその者の「境遇」を表しているということだ。そんな外野の境遇を、物的証拠の揃い難い訴訟案件にぶつけて何になる。それこそ「被災地を無視したイデオロギー合戦」と同レベルの争いでしかない。