この地球が生きた星である以上、残念ながら地上のどこにも確実に安全と言える場所は無い。たとえ互いにいがみ合う隣国であろうとも、時に経験する自然の驚異、避けられぬ鉄槌による同じ痛みを共有している。

 

 

今がそのチャンスかもしれない。金総書記の異例のお見舞い電をとっかかりにして日朝交渉に繋げ、拉致及び核・ミサイル問題を解決し、北朝鮮との間でも正常な外交関係を築くべきである。それが日本の国益である。 

 

見舞いを送ることがあれば受くることもある。それが互いに苦しみを理解する人間であることの証なのだ。屁の役にも立たんJアラートや遺憾砲をいくら打ち込んだところで、その同じ「証」には決してなるまい。国家の相互理解は人間の相互理解そのものである。そして、人間の意思疎通にはメッセージの互換が必須だ。

 

世界一の大国の意向に沿って強力な「大東亜基地」を提供しているのが我々の国家であり、そんなものを目と鼻の先に構えられては恐ろしくて夜も寝られないというのが隣国の実情である。もしもその意味が判らないと言う者が居たら、朝鮮半島の大半がロシアに占拠され、ロシア軍基地が完備された状況を想像してみるがいい。自らを客観する能力を持たず相手の境遇に想像力の及ばぬ者には、決して正しいメッセージのやり取りなど出来るはずもない。

 

大国の意向に背かずに居ることが直ちに国益となる状況は、冷戦の終結と共に、とうの昔に過ぎ去った。「テロリストとは交渉しない」といったもっともらしい言説も、テロリストという言葉の定義に大いなる欺瞞が在ると判明した今は、軍事力に勝る側の矛盾に満ちた主張を際立たせる役にしか立たなくなった。そして、大国がどれほど頼れる存在であるにせよ、我々はその大国の隣人ではまったく無いのだ。

 

「ご近所」とうまく付き合えない者には平穏な生活が宿るはずも無いことを、いい加減、「言いなりの政権」ではなく、我々国民が理解して、国家の舵取りに反映すべきであろう。