もはやトランプも真っ青のデタラメぶりを見せつける「空想非科学系作家」の門田隆将。普段からネトウヨ的に都合の良い言説ばかり書いているせいで、ついつい事実に誤魔化しを織り交ぜてしまいがちな彼だが、この件に関してはどこから見てもまともな申し開きなど出来まい。

 

 

記事は2020年10月25日付の朝刊に掲載。18年3月に財務省近畿財務局の職員が自殺した件に言及し「(両議員は)財務省に乗り込み、約1時間、職員をつるし上げている。当該職員の自殺は翌日だった」と記載した。一方、両議員が訪れたのは東京の本省で、自殺した職員には面会していなかった。

判決は、「当該」との単語が使われ、連続した2文で構成されたこの文章を読めば「読者は、両議員が自殺前日にこの職員を集団的に批判、問責し、自殺の要因になったと理解する」と判断した。被告側の「『つるし上げ』の対象は自殺した職員ではないと容易に理解できる」という主張を退け、名誉毀損を認めた。

 

「当該職員」という表現が、いかにも誤魔化しを意図した曖昧さを連れて来るのだ。自ら作家だと胸を張るなら、この曖昧さを帳消しにした記事を再構成して提示したらいい。自ずと「職員つるし上げ」のベクトルが極小化して、一体何を主張したい記事なのか判らなくなるだろう。それほどに門田の記事には「野党議員がつるし上げたから自殺した」という直接の因果を強調したい意図が有るということだ。

 

普通に考えれば国家公務員に蔓延した安倍への忖度が端的に一職員に圧し掛かり、その倫理観ゆえに耐えきれなくなって自死を選んだという不幸の責任は、すべて安倍官邸の政権運営に問われるべきところなのだ。門田はその流れをねじ曲げ、安倍を擁護する目的で「野党が悪い」という目先逸らしを行った。そのようにしたいという想いが非常に強かったために、わざわざ「つるし上げ」の対象となった「職員」と、自殺した「当該職員」という表現を近くに置き、読者が混同することを意図的に狙っていたのだ。

 

ここで仮に、絶対に混同させることが無いような表現を用いて上記表現を校正してみよう。このようになるはずだ。

 

「(両議員は)財務省に乗り込み、約1時間、本省職員をつるし上げている。近畿財務局の職員の自殺は翌日だった」

 

普通に誤解の無い文章を書ける者なら問題無くこうするだろうというレベルである。しかし、これを読んでみればバカでも判るとおり、本省での「つるし上げ」の結果として遠く離れた近畿の職員が自殺したのだとすれば、そこに明確に因果関係があったのだとすれば、それは財務省内に他に公言出来ないような深い闇が存在していたことを意味する。これでは門田の目論むような「野党の言動が直接自殺に追い込んだ」という理屈が全く成り立たなくなるどころか、財務省の中で何かマズいことが起きているという事実を無駄に引き出してしまうことになる。事を正確に記せば都合の悪い事態になると門田は解っていて、意図的に混同させる表現を選んだというわけだ。

 

門田という男は、明確に極右の、と言うよりもネトウヨの思想を持ち、その思想を世間に対して正当化する目的でモノを書いている。事実をありのままに書こうとする姿勢など微塵もない。この事件についても、断腸の思いを抱えて自死した赤木氏の家族に対して一瞥の念すらも無い書きようだ。それは赤木氏の妻が夫の思いを晴らすべくどのような行動を取っているかを見れば一目瞭然である。彼女は野党の行為を責め立てているだろうか?果たして本省職員を吊るし上げたことに恨みを抱いているのだろうか?否、彼女はむしろ安倍官邸と財務省に対し、「真実を語って欲しい」と懇願し続けていたではないか。にも関わらず政権はそれを無視し、菅、岸田ともにそれを継承して、お得意の「無かったことにする」姿勢を貫き通している。我々はそうした「事実」を普通に見ているので、門田がクソ拭き紙に書き連ねた誤魔化しの文言が如何に野党に濡れ衣を着せるためのものだったかを、そして当然にもそれが名誉棄損に値するものであったことを疑いの余地無く認めることが出来るのだ。

 

最後に、どこからどう見ても恥ずかしく悍ましい門田とクソ拭き紙の「言い訳」にスポットを当てておこう。

 

「『つるし上げ』の対象は自殺した職員ではないと容易に理解できる」

 

野党に責任を押し付けるという自らの記事の真意を、逆に隠そうとしている。空想非科学系作家とクソ拭き紙の風上にも置けない醜態である。