案の定、強い勧告が出た。日本の現状が如何に条約に即していないかを如実に表す審査結果となった。諸事情により、ここでは障害児教育の問題にのみ言及する。

 

特別支援教育を巡っては、通常教育に加われない障害児がおり、分けられた状態が長く続いていることに懸念を表明。分離教育の中止に向け、障害の有無にかかわらず共に学ぶ「インクルーシブ教育」に関する国の行動計画を作るよう求めた。 

 

条約に批准してから年月が経つことを考えれば、未だにインクルーシブに舵を切ろうとしない日本へのこの勧告は当然の成り行きと言える。「条約に批准」など口だけで、実際はその根底に有る差別感覚から、インクルーシブ実現に必要となる「一定以上の高額支出」をずっと受け入れられずに居るのが日本という国だ。多くの国民はもはや議論にすら参加せず、ごく一部のマイノリティに多額の資金を注ぎ込む想定など最初から頭に無い。国民の間には、その伝統的差別感覚を吐露するにしてもいくつかのパターンが有り、当該記事のコメント欄を見れば大体の傾向は把握できる。

 

その1.「環境が整備されてない。そこに受け入れたら色々大変。必要な環境を整備しようにも時間がかかる」

 

これはあくまで「現状の体制」を前提とした主張である。現状の体制は、政府がほとんど何もしていない環境(せいぜい改築時のエレベータ設置ぐらい?)だから、おっしゃる通り出来る訳が無い。が、条約が政府に求めているのは「必要な環境を整備すること」であり、未整備を前提としたこの主張は本末転倒だ。時間がかかるという言い分も、批准してから今の今まで一体何をやっていたんだ?ということになるが、障害者に金を注ぎ込む事自体「異常」と考えるのが差別の本質なので、彼らはそこに疑問は抱いてない。

 

その2.「分離した方が本人に必要な教育や個々の能力に沿った指導が出来る」

 

一見、障害児に寄り添った意見のようなこの主張も、あくまで現状の体制を前提とした言い訳である。条約は「必要な環境の整備」を求めている。現状で「必要な教育や個々の能力に沿った指導」が望めないなら、それが望めるような環境を整えるのがインクルーシブへの第一歩だ。例えばその全てを直ちに用意出来ないなら、足りない部分だけは分離教室で行い、賄える部分は一緒の教室で行うなど対応の仕方はいくらでも有る。この論法で分離を支持する者は、最初から排除のベクトルで思考しているからそうなっているだけだ。そもそもこの条約の存在意義は、まさしくそのような思考の是正であることをまず認識すべきだろう。

 

その3.「能力に差があるため一般児童が足をひっぱられてしまう」

 

勘定の上ではそれほどでも無いが、内心も含めれば恐らくこの主張が最も多いのではないか。日本人の伝統的美徳に根差した差別感情からすれば、ここが着地点となるのが最も合理的なのだろう。要するに「マイノリティは慎ましくしてろ」という感覚が根底にあるため、そんなマイノリティに引きずられるようなことは何であれ受け入れがたいのだ。マジョリティとしては一緒の教室に居られる事自体が迷惑なので、逆にマイノリティの方が分離を受け入れろと言う。条約はこれを「根源的差別」と見做してインクルーシブを提唱しているのだが、そもそもが伝統文化に組み込まれた差別感情を持つ大多数の日本人にはそれが通用しない。

 

その4.「日本には日本のやり方がある。ずっと分離教育でやって来たのだから分離教育でいいじゃないか」

 

これも3と同様で、根底に伝統的差別感情がれっきとして有り、それを修正する気などさらさら無いからこそ堂々と打ち出される主張だ。現実の日本の伝統に照らし合わせれば、何やら合理性の一かけらくらい有りそうな主張のように一見思われるが、そもそもインクルーシブを求める条約に批准したのは日本だ。分離教育のままで良いなら最初から批准しないか、若しくは条約から離脱すれば良いだけだ。「ずっと分離教育なのだから」なんて今更の理屈には身も蓋も無い。

 

その5.「一般に差別感情は広く残っており、そういう目で見られて疎外感を感じるのは障害児本人である。」

 

あたかも障害児の心に寄り添うような言い回しだが、これは典型的な排除論だ。差別の目で見られるのは差別の目を持つ者が多いからであり、では何故差別の目を持つに至ったのかと言えば、そもそも障害者との共生を経験せずに排除する環境で育ったからである。こういった主張をする者はもとよりインクルーシブの重要な視点を無視している。それは、インクルーシブ教育が障害者のためだけの教育システムではなく、社会において障害者を差別・排除しない、ちゃんと共生が出来る「大人」な国民を輩出するためのシステムでも有るということだ。自らの側が教育されることを想定出来ない時点で、完全に「他人事」としての感性でモノを言っているだけと見做して良い。

 

と、ざっと挙げてみたが、これらインクルーシブを否定する意見を持つものは押しなべて障害者排除の思考にある。インクルーシブの目的は共生であり、それを拒否するのだから結果として排除に至るのは当然である。一部には正しく保守的な漸進主義、つまり、急激なインクルーシブ移行や極端な全抱合指向を求めるべきではなく、段階的・適所的なインクルーシブの実現を目指すべきとの主張もあるが、それは少なくとも排除の思考では無く、インクルーシブを否定するものではないので、排除派とは一線を画している。が、そうした向きは国民全体のごくごく僅かでしかない。大多数は、なんだかんだと理由をつけてインクルーシブを拒否、障害児を一般教室から排除しようとする、伝統的差別感覚そのままの日本人である。

 

あえて書く。国連からどんな勧告を受けようが、決して日本は変わらないだろう。実際にインクルーシブを実現しようとすればそれこそ莫大な資金が必要となる。一体、伝統的差別感覚に捉われた日本人のうちの何人が、そんな資金の捻出を「障害を持つマイノリティのためなんか」に許すと言うのか。「ほとんど居ない」と言って間違い無いではないか。そして、政府はそれを重々承知だ。条約への批准もタダのカッコつけでしかなく、差別の解消などこれっぽっちも考えて無いが、最初からそれで良いと確実に思っている。ただ「インスタ映えしたかった」だけであり、それが本音と建て前を使い分ける我が国の真骨頂なのだ。

 

では今回の審査結果、分離教育の中止という勧告を受けて、日本政府はどうすべきだろうか?

 

俺の考えだが、日本は直ちに障害者権利条約からの離脱を考慮すべきだ。いつまで経っても口先だけで実行出来ない約束など、国家としての品格にただ傷を付けるだけ。自ら化けの皮を剥ぎ取って、その本当の姿、伝統的差別感覚をもって障害者を蔑み、慎ましく邪魔にならない存在で居ることを強要する圧倒的人権後進国としての容姿を見せつけるがいい。こんな国が世界標準の人権国家を標榜するなど、1万年早いのである。