当ブログで何度も取り上げて来た学術会議会員の任命拒否問題。
その学術会議がついに、軍民両用の科学技術、いわゆる「デュアルユース技術」の研究を容認する考えを打ち出した。
俺は個人的には、憲法改正の議論は有って当然(もちろん、ただ改正することを手柄として得たいだけの「誰か」みたいな輩に主導させる気はさらさら無いが)だと思うし、安全保障の観点からは軍事技術研究も推進してしかるべきだと考えている。
ただ俺はあえてその立場から、「任命拒否問題の肝は、政府が任命拒否の理由を明確に説明しなかったことに尽きる」と主張し続けて来た。学術会議の軍事忌避体質を問題としたのなら政府は堂々とそれを指摘・批判し、正面から改善を求めるべきだった。政府が姿勢をはっきりと国民に示すことにより、問題の在処が明確になり、国民の間で支持・不支持の世論が生まれる。どういうつもりで政府が拒否しているのかが明らかにされなければ、国民の側もその問題に対峙する上で曖昧な立ち位置のままとなってしまうからだ。
ところが実際には、政府の説明は「総合的・俯瞰的に見て」「民間出身者や若手が少なく」「人選の公平性が」「多様性が大事」など、およそ明後日の方向での「言い訳」に終始し、挙句の果てには「人事に関する事なので説明は差し控える」という、いつものマヤカシの呪文を唱えて終わった。軍事研究の拒否が問題だと大騒ぎしたのは周りに居る人集りのみで、結局当の本人である政府は、その論点には一切言及せず仕舞いだ。何故、任命拒否を強行しなければならなかったのか。その理由は「全く不明」のまま「完全スルー」を決め込むという有り様だった。
政府が取ったこの態度は最悪だった。学術会議の問題点を明言すること無く、ただ無言の圧力をかけて、あからさまに相手側からの「忖度」を要求するような態度である。いかにも悪代官風情の菅義偉らしいやり方であり、安倍政権からの流れで確立された政府・自民党の「説明しない政治」の典型であった。
結果、この期に及んで学術会議側が自ら白旗を挙げたのはまさに「政府の無言の圧力に屈服」「忖度」した事になり、様々な問題の論点を明確にして議論するという民主主義的プロセスの重要性を棄損した。そして政府が説明責任を果たさぬまま事を恣意的に運ぶ様を、学術会議が暗黙に了解し、支持するものとなったのだ。まさに民主主義国家の将来に禍根を残す顛末だ。
一連の成り行きの中で最も批判されるべきは政府だ。たとえ学術会議の何が問題だったにせよ、その理由を語らないまま任命拒否のような懲罰的対応を取るのは不可解極まりない。他の誰よりも説明責任を負うはずの政治の中枢が一切の理由を述べずに一方的処分を下すなど、少なくとも民主主義国家では起こり得ない事態だ。
こうした政府の対応は、もはや中国や北朝鮮のような独裁・強権体制のやり方をなぞったものだと言っていい。安倍政権以降の政府・自民党は常に、説明する事を嫌い、議論することを嫌い、苦言を耳にすることを嫌って来た。そう、彼らは中国や北朝鮮のような、政権の一存で何でも叶えることが出来る国家に心の底から憧れているのだ。
翻って、学術会議側の対応はどうだったのか。訳も無く6人の会員の任命を拒否され、当初はその理由の提示を政府に求めていたようだが、その後の態度表明には釈然としないものがある。説明無しに力を振るうという、どう見ても理不尽で非民主主義国家的な政府に対し、学術会議はその理不尽さに見合うだけの十分な抗議活動を行って無いように見える。
菅から岸田に政権が委譲された後も、任命拒否に関する政府の説明は終ぞなされなかった。これほどコケにされた組織が生ぬるい状態のままオロオロしている様子は、俺には全く理解できない。政府に対し、「説明が無いなら全会員が総辞職する」ぐらいの突き付けが出来ないというのは、そもそも声高に学問の自由などと謳うだけの強い意志すら持ち合わせていないのではないか。
いずれにしろ、こんな成り行きで「説明なき政治」に無理矢理忖度を迫られ、時間を持て余して勝手に焦りまくり、最終的に、「戦時の反省」をもとに軍事研究を拒否してきた学術会議の歴史的意義をあっさりと引き上げてしまうとは。この組織は自らの姿を見て恥ずかしいと、微塵も思わないのだろうか?一体政府の何がそんなに怖いのだろうか?
真っ当な民主主義を蔑ろにし、傷つけ、破壊し、じわじわと国民を強権的政治手法に慣らし、いつかは中国に、北朝鮮のようになりたいと願う政府の顔色を窺う事ほど、ある程度の羞恥心を持つ人間として避けたいと思う事は無い。
学術会議は、恥を知るべきだ。
