なんでわざわざ自らのアホさ加減をさらけ出すような真似をするんだろうか。

 

「『このおっさんのデリカシーの無さは笑えるなー』が私、『このおっさんのデリカシーの無さは笑えない、絶対に許せない』が皆さん。感じ方は違うな、とつくづく思う。自分が後藤選手の立場なら、金メダルを取った事実と仲間達との記憶は1ミリも変わらないので、そこまで怒らないと思う。人それぞれ」と、答えた。

 

デリカシーの無さを「笑える」か「笑えない」かなんてことは本当にどうでもいい。

それこそ個々人の価値観に依存した行動原理でしかないからだ。

 

今問われているのは、デリカシーが「有る」か「無い」かの方なのだよ。

 

デリカシーというのは、つまりは「想像力」のことだ。

 

あくまで「個々人の価値観は当然異なる」という前提で、

 

「苦労して手にした金メダルを赤の他人に断りもなくかじられたくは無い」

 

という選手の価値観に、想像が及ぶかどうかというだけの話なのだ。

 

河村は、「あこがれがあった」「愛情表現だ」などと語った。

 

北村は、「デリカシーの無さも笑える」「自分が後藤選手の立場なら怒らない」などと語った。

 

どちらの言い分も、結局「自らの価値観」を披露しているだけであり、自分たちが「他者の心情・価値観」への想像力を欠いているのだという意識が全く無い。

 

この二人は周囲からまさに「想像力の無さ」を指摘されているにもかかわらず、その事実への想像すら及ばずに、むしろ自身の個人的価値観を主張することに必死になるという、あまりにもズレた行動を取っている。

 

こういうのを世間一般では「迷惑なバカ」と言うのだ。

 

今後は確実にその前提でこいつらを見ればいい。