やってくれたな。

 

ドライバに起因するブルースクリーンじゃ、WindowsUpdateはまったく使い物にならないだろう?

 

修正プログラムを配布するったって、適用するのにいちいち”セーフモード”で立ち上げる必要があるじゃねーか。

 

CloudStrike Falconはそもそも大企業向けのセキュリティソリューションだ。担当者は一体、何台のPCを手動で「安全に」立ち上げ直さなければならないのか。

 

数千台を抱える企業では、控えめに言って「地獄」だろう。

 

 

いかにも理想的なデジタル社会を夢見ようにも、現実は当然のごとく理不尽である。

 

それでもなお想像力を働かすことが出来ないと言うのなら、待ち受けているのは常に「安全」なる「地獄」でしかない。

 

 

やっとまともな論説が出てきたと感じる。石丸叩きに”全集中”の「オピニオンリーダー」たちには是非とも煎じて飲ませてやりたいぐらいの原稿なので、少し丁寧に追って見ようと思う。

 

当初は「石丸現象」を予想だにしていなかった。
 
 東京都知事選で前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏(41)が165万票を集め、立憲民主、共産両党の支援を受けた蓮舫前参院議員(56)を追い抜いて2位になった。
 
 世代間格差の深刻さは理解していても、若年層が無名に近い候補にこぞって飛び付くほどの飢餓感を持っているとは認識していなかった
 
率直な感想だろう。現実を全方向の視点で捉えるのは不可能であり、境遇の異なる者の心理を掴むなど至難の業だ。だからこそ、こうした現象を理解の一助とする必要がある。
 
日本は後に生まれる世代ほど「損」をする社会だ。公的年金をはじめとする社会保障では若い人ほど負担と給付の損益が悪化する。現在は65歳以上1人を現役世代2人で支え、これから数十年間で高齢者1人を支える現役世代の人数は1人に近づいていく。
 
 若年層は年長世代がつくった社会にいや応なく暮らす。長期の経済低迷の中で育ち、好景気を知らない。にもかかわらず、高度成長期やバブル経済を経験した上の世代に年金を「仕送り」しなければならない。不公平に感じたとしてもやむを得ない。

 

経済的格差は、自ら選択可能な「職種」のような要素だけでなく、「生まれた年代」という不可抗力条件によってもたらされる部分が大きい。今の30代以下が享受する経済的恩恵は、我々年長者の時代に比較すれば信じられないほど微弱だが、社会はもうずっとそれを見過ごしたままで来ている。

 

だが、これまで若年層の投票率は低かった。政治行政への不満や関心がさほど強くないのか、諦めているのか、どちらかだと受け止めていた。今回、積極的に応援したい政党や候補者がいなかっただけなのだと見方を改めた

 

一部の層に限って投票率が低く出る状況というのは、民主主義の一つの理想である「平等な社会」を作るうえで大きな障害だ。彼らが参加しない分、当然に彼らの取り分は減るのだから、単に「関心が無いから投票しない」というのであればそれは自業自得に過ぎない。しかし、そもそも彼らは人口構成比上のマイノリティなのだから、ただ票を集めたいだけの所謂「政治屋」たちは彼らのためではなく、マジョリティである年長世代の方を向いて聞こえの良い話をする。それがシルバー民主主義と呼ばれる所以であり、そんな状況で彼らに「関心を持て」と言う事自体が理不尽というものだ。

 

では、なぜ石丸氏は若い世代から支持されたのか。「後講釈」が政治談議のネタになれば幸甚である。
 
 少なくとも政策が要因ではない。石丸氏が訴えた若年層支援や少子化対策は、小池百合子知事(72)に比べて具体性に乏しかった。若年層が期待したのは個別の政策でなく、社会の閉塞(へいそく)感の打破だろう
 
もちろん、政治を第一義的に支えるのが具体的な「政策」であることは間違いない。しかし、政治屋が軽快に語る「政策」がホンモノかどうか、むしろ我々は訝るのがデフォであり、おそらく人々の投票行動の基準となるのはそうした理屈ベースの政策ではなく、「候補者が実際どちらの方向を向いているか、いったいどれほどの熱量をもってその方向を語っているか」なのではないか。
 
石丸氏は市長在任中、議会との対立を交流サイト(SNS)にさらし、地方都市の旧弊と戦うイメージを自ら演出した。都知事選では既成政党を「政治屋」と敵視する姿勢が、旧世代に対する若年層の反感と響き合った。
 
 「炎上」を辞さずに耳目を引く手法は、お騒がせユーチューバー系候補者と共通するが、銀行員、市長の経歴によって実社会での突破力も備えていると若い世代に映った。新聞・テレビに対する邪険な態度も、従来型のマスメディアを重視しない若年層には小気味良いに違いない。
 

俺は若者世代と(ネットではなく)リアルで話をしていて、彼らが「マスメディアを重視しない」どころか、「マスメディアを敵視している」「憎悪している」とすら感じることがある。実感から言えば特に新型コロナ及びワクチン関連の報道について圧倒的に不信感を抱いているようだ。当然それ以前に政府のコロナ対応をやり玉に挙げるんだが、メディアも同罪か若しくはそれ以上に罪深いだろうといった趣きである。

 

実際、コロナ期間中に高校・大学生活を「少なからぬ制限付き」で過ごしたり、大規模な「自粛」の影響で派遣先から契約を打ち切られるといった社会状況が、彼らにとってより閉塞感を募らせる要因になったのは間違いないだろう。

 

そこに適切なオペレーションを欠いただけでなく、切り札とされたワクチン政策に関して国民から湧き上がるさまざまな疑問に答えようともしない政府の態度、追従するのみで真実に迫る気迫もないマスメディアの姿勢に対し、すでに彼らは敵対的ポジションから、やり場の無い怒りをどう表現したら良いかと考えあぐねていたのではないかと思う。

 

また、近年若者世代における経済情勢は急激に悪化しているという分析がある。将来の見通しに希望が持てない彼らの実情を、我々年長世代は本気で解ろうとしているだろうか。

 

 

将来に希望が持てず、子どもを欲しない若者が増えている現状はもっと深刻に受け止めなければならないが、その要因が若者の経済的問題であるならば。実はいくらでも対処の方法はあるはず。若者の手取りを増やせばいいからだ。賃上げをしなくても手取りを増やすことはできる。

 

モタモタしていて、中国で起きている「寝そべり族」現象が蔓延してからでは手遅れになる

 
社会がちゃんと彼らの方向を向いていれば何とかなるだろうが、彼らは見てもらえているとはまったく思ってない。そんな彼らが既存の政治の象徴である百合子や蓮舫といった候補者ばかりの選挙に参加する訳が無い。政党やマスメディアといった旧い体制を相手に、面と向かって対決姿勢を示す石丸が出て来たからこそ、一票を託す気になったのだ。石丸を自分たちの代弁者とみなし、その「悪辣な態度」ですら生理的にスカッとジャパン体験として受け止めているとしても決して不合理は無いはずだ。

 

次期衆院選では、若い世代が推したくなる政党や候補者は現れないかもしれない。だからといって「与野党どちらも嫌」と棄権すれば、高齢者が選挙と政策に影響力を持つ「シルバー民主主義」は強まるばかりだ。
 
 もとより完璧な政党や候補者は望むべくもない。むしろ一つの政党、一人の政治家に社会の変革を委ねるような世論一色になる方が危うい。民主主義は、より「マシ」な政治を選ぶ仕組みである。
 
 石丸現象は若年層も政治に熱くなることを示した。これを機に政治参加を定着させたい。次代を担う主権者が、より「マシ」な未来を自ら選ぶために。
 
今回の都知事選では久々に投票率が6割を超えた。これは、今まで「投票所に行くのは無駄」と考えていた若年層・無党派層が少なくとも「世の中を変える事」に興味を示し、自らの一票に希望を託す決断をしたからだ。得票数と分布から算出すれば、明らかにそれらが石丸票の増分になったとわかる。
 
どんな形でもいい、彼らが彼ら自身のために「主権を行使する」のが重要なのであり、それこそが民主主義の体現なのである。その投票行動を頭ごなしに否定するのは許されることではない。年長者は若者の言い分にもっと耳を傾けなければならない。やっと重い腰を上げたマイノリティの気合を見くびらないで欲しい。