大学3年生の娘がいます。

もともと痩せ型の娘が、最近また痩せてきました。食べる量が少ないのです。



昨日の午後、夕方から娘は大学のサークルで出かけました。バタバタして時間的にちゃんとした夕食が食べられなさそう、コンビニのパンとかになりそうだと言っていました。


娘の考えるちゃんとしたご飯とは、「(少量の)ご飯、具沢山の汁物、主菜と副菜で数品、フルーツ」のような感じです。それらは、日々私が作ってきたもの…。


私は、

「栄養は普段取れているんだから、食事が不規則になる時はカロリーを優先して、とにかく炭水化物を摂って。ますます痩せちゃうよ。」

と言っておきました。



娘は、過去2回(中学2〜3年と高校2年)、摂食障害(拒食症)になりかけたことがあります。その時でも、彼女の考えるちゃんとした食事は食べていました。炭水化物が極端に少なく、その他は少量ずつでしたが品数的には多く(大好物の揚げ物も)食べていました。私は少しでもたくさん食べて貰いたくて、彼女の希望をなるべく叶え八つ当たりに耐え、そして疲弊しその頃は自分も食べられなくなりました。今でもトラウマです。



私は、子供達が小さな頃から、「私たちの食べ物は植物や動物から命を頂いている、感謝して食べるもの」ということ話してきました。手を合わせて「いただきます」は、そういうことだと。

娘が摂食障害の時でも、過食嘔吐がなかったのは、その考えが生きていたからだと思います。その面においては食育は成功していたのかもしれません。嫌いな食べ物もほとんどないし。


一方で、成功していなかった別の面。

それは食事を作ってくれる人の気持ちに気づかなかったことです。学校ならば、給食を作ってくれている方の気持ち。家庭ならば、私の気持ち。少しでもたくさん美味しく食べて貰いたくて、料理を並べる私の気持ち。

彼女はそれらに、あまりにも無頓着でした。それが、思春期の甘えであり、反抗期なのでしょうけれど。



最近、娘は自分がまた痩せてきたことを自覚していて、食べたものをアプリに入力してチェックしています。炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラルがバランスよく取れているか、と。

ただ本来、この手のアプリはダイエット用です。彼女に不足しているのは栄養ではなく、絶対的にカロリー(炭水化物)です。その辺りが、食事を作る私には何となく腹立たしい。


娘は医学部生で、将来医師になることを目指しているので、自覚して努力してくれるのはいいことです。ホルモン補充の婦人科通いも、自覚させるためにお小遣いの中で自分でさせています。医学部の附属病院なので、学校のついでですし。



昨夜、帰宅した娘は、一応娘用に残しておいた夕食のおかずだけ食べていました。サークルの前にパンを食べたからと。

私は娘に言いました。

「自分が何をしても私が許してくれると思っているかもしれないけど、私もいつかポッキリ折れるかもよ、愛情が尽きる日が来るかもしれないよ。」

と。娘は、とても驚いていました。


ちょうど1ヶ月後に、彼女は海外留学に出発する予定です。3週間。

安心して送り出すためにも、心身ともに強くなってほしいと願い、日々、心を砕いています。


仏の顔も三度までというけど、彼女の食事に関しては、私は三度どころじゃなかった。何十、何百回と、仏の顔で対応してきた。

そう娘に言ったら、娘が一言。

「仏、大したことないね。」


イヤイヤ。

…。

もしかして、母とは、仏以上 神未満⁈