揺らぐ関与派の民主化論 | 歴史ニュース総合案内

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 企業が進出して経済発展を助けてやれば、勃興した中産階級が自然と権威主義体制を打倒し、民主化が成就するという仮説が、現代中国の潮流によって揺らいでいる。欧米の言論界では、経済進出を通した中国への関与政策そのものが誤りだったという意見が相次いでいる。

 民主主義版の発展段階説に相当するといえる関与主義の言説は、冷戦下の容共論から始まり、1980年代から各国の共産体制が崩壊したり、韓国や台湾などの反共独裁体制が民主化したりする中で背景に定着していった。実態はどうなのかを考えてみたい。

 

 マルタ会談に象徴される冷戦の終焉は、世界中で一党独裁体制を退場させた。東欧やソ連だけでなく、アフリカや中南米にも革命の波は及んだ。アジアではやや先んじて台湾や韓国、フィリピンで反共独裁体制が終焉し、南米でも反共軍事政権が体制転換した。2020年時点の世界の歴史は、そんな革命を中産階級の市民運動の成果として描いて終了する。

 だが実際には、共産体制が崩壊した国では、ゴルバチョフによるペレストロイカの方が「市民の声」よりも大きな影響を与えたと思われる。共産体制の総本山でなされたグラスノスチ(情報公開)は、共産主義の名の下でなされた民族強制移住など圧殺されてきた黒歴史の扉を開き、チェチェンなどで民族紛争の火種となり、最終的にソ連邦と東欧諸国と第三世界の社会主義諸国の政治体制の正統性を否定していった。

 

 しかし、中国は天安門事件で不満分子を制圧し、共産体制崩壊の連鎖に連ならなかった。そうして民主化の潮流を拒絶した中国だが、西洋諸国の企業が経済進出していけば、「和平演変」と警戒されても一党体制は維持できなくなると予想された。グローバル資本は安い労働単価に目をつけて大挙進出し、共産主義を実質放棄した共産党一党体制のもとで国は経済発展した。

 だが、上海などの先進都市に暮らす中産階級の大人たちは、いつまで待っても西洋メディアの煽る民主化運動に呼応しない。それどころか、香港の言論が本土と同一水準に置かれようとしても、統率を維持する中国式の方が西洋式民主の無秩序よりも優れているというのが市民感覚のようだ。

 

 もともと中産階級は国の価値観を受け入れた層であり、体制へ積極的に歯向かわない。どこの国でも体制から優遇される層に授けられる高等教育を受けた大学生は革命に期待するが、彼らは庶民の生活感覚から遊離する傾向にある。そんな大学生も成長すると権威を守る生活保守に変身する。西洋資本の関与政策によって、資本主義の欲望を煽る作品は解禁され、歴史の些事にまで言論統制が及ぶ事態は大いに緩和されたが、それ以上の解禁を勝ち組の中産階級はあまり求めない。

 

 経済発展で中産階級が体制転覆に立ち上がる物語が成立するのは、反共独裁や開発独裁からの転換だろうが、そこでもペレストロイカが反共の大義を南米やフィリピンで失調させた要素は大きい。なので、中国や北朝鮮の共産主義と対峙する構造が残った韓国と台湾くらいが、経済発展と中産階級(ブルジョワとは彼らなのか大金持ちなのか)による民主化の理論が成立するのだろうか。