「太平洋戦争だけは悲惨な戦争」観の先 | 歴史ニュース総合案内

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 太平洋戦争の記憶が当事者の亡くなる歴史の領域へ移行している。これまで繰り返してはならない悲劇として語り継がれてきた戦争観や平和観はどう変わるだろうか。

 

 朝日新聞など主流メディアで展開される歴史観は、「太平洋戦争の悲惨さや軍内の強烈な上下関係、民衆を見下しきって厳命する軍人は非難するが、戦国合戦などそれ以外の戦いは自由に記述して構わない」だ。映画など娯楽界の戦争観も似たようなものだ。もちろん、前近代の戦争も内外を問わず悲惨で、軍内にも上下関係があって武士は民衆相手に威張ったが、それは戦争描写全体を揺るがさない。

 漫画やゲーム界だと、そんな背反はより分かりやすい。戦記系など実写で同じことをしたら、どうみても戦争を賛美するメッセージを発しているとしか思えない場面でも、軍用機が大好きでも戦争嫌いなジブリの解釈術にかかると、戦争の悲惨さを伝えていることにしなければならない。

 例えば、吹雪型駆逐艦と中型空母の名前を借りたヒロインに小突かれながら、逃げちゃだめだと一度は避けていた戦場に向かう少年は、戦争を賛美しているのでなく、悲惨さを伝えていると解釈されねばならないらしい。(もちろん、セカイが滅亡しても最後まで戦争に加わらないのが本当の反戦で、この少年は25年以上逃げるヒーローの象徴となっている)

 

 日本の歴史は他国と比べて、外国との争いが少ない。主に武士同士の内紛はあっても、国内で完結してきた。しかしながら、街道など歴史ジャーナリズムの世界では、大陸進出に乗り出した戦国武将や明治日本、太平洋戦争の時代もしくは源平など動乱の時代が常に花形だ。歴史ジャーナリズムは相対的に平和な時代でも、学問より争いを好む傾向にある。

 そんな中で太平洋戦争の悲惨さを特別視して反戦に回る戦争観は、9条の反戦感情と歴史ジャーナリズムの価値観を折衷させる中で生まれてきた。武道精神を称え、戦争に向かう過程や兵站関連は熱心に記述しても、射撃から始まる最前線の合戦は伝えないのが、歴史学の本流となってきた。

 

 日本の歴史が一貫して平和で民主主義だったという歴史観がある。中国や西欧と異なり、日本では集団虐殺が無かったという歴史観だ。西欧に対応するのは日本でなく東アジアなのはともかく、血で川が染まる集団虐殺は日本でも戦国時代など動乱期にもあった。貴族階級同士が話し合える民主主義は世界中にあり、日本もその程度だったと思う。海の向こうでは、皇室を下剋上で革命する発想もあった。

 そんな底の浅い歴史観だが、平和憲法とは相性が良いだろう。だが、こうした歴史観を弘めているのは、護憲系よりも明治天皇の玄孫である竹田恒泰といった平和憲法を変えたくてたまらない大東亜戦争系の好戦主義勢力だ。なんとも逆説である。

 

 それでも、太平洋戦争の記憶が風化する中、護憲勢力はこれから無虐殺や民主主義の日本史観へ流れていくと思われる。どんな時代でも武士(もののふ)の戦争を退けるより首尾一貫した民衆史観への道だ。しかし、表世界では反戦史観を唱えつつ、靖国でなくサーヴァントの英霊(好戦モリモリ)とかを呼んで仮想世界で征服戦を展開するような光景になるとみられる。