江戸時代に建てられた丸岡城 | 歴史ニュース総合案内

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 1576年に築城された現存最古の天守閣と宣伝されてきた丸岡城が、江戸時代前期の1620年代に建てられたことが、福井県坂井市の学術調査で3月までに判明した。年輪調査や放射性炭素や酸素同位体の測定で、天守閣に使われている木材の大半が寛永期の1620年代に伐採されたと鑑定された。

 国宝認定のための学術調査で2015年度に設けられた調査研究委員会(委員長・福井工大の吉田純一名誉教授)が3月26日に報告書を纏めた。朝倉氏や一向宗を滅ぼして越前入りした柴田勝家の甥に当たる柴田勝豊が築いた霞ヶ城が丸岡城とされてきたが、その根拠は「柴田勝家公始末記」にしかないと指摘した。

 調査委員会は更に天守閣の部材を年代調査。通し柱などが1620年代に築かれたことが分かり、家老の本多成重が1624年に福井藩から独立した時に、2重3層の松岡城の天守が新造されたと結論した。ただ、野面積みの天守台や一部木材は16世紀のもので、その頃にも砦だけでなく天守があった可能性があるという。下層部を築いてから物見櫓を乗せる望楼型の建築様式は、層塔式に対して、一国一城令で城が整理される以前の様式だ。

 

 丸岡城が現存最古という学説は当初からそれほど強固でなく、寛永期の建立説の方がむしろ有力視されてきた。愛知県の犬山城や長野県の松本城の方が古いと思われてきたが、今回はこちらの説が証明された。

 丸岡城は12ある江戸以前の天守が現存する城だが、1948年の福井地震で一度倒壊した。今の天守は1955年に城の部材を使って再建された。