金閣寺の幻の南池 | 歴史ニュース総合案内

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 鹿苑寺金閣は10月11日、足利義満の治世に用意された南池が造成こそされ水を張られた痕跡を確認したと発表した。池を造成した痕跡は見つかっても、防水用の粘土層や護岸石が出土しなかったため、未完の池と判定された。

 臨済宗相国寺の塔頭である鹿苑寺では、金色の舎利殿(金閣)に面して鏡湖池(きょうこち)が広がっているが、江戸時代の「北山鹿苑寺絵図」によると、その南にも池があったとされる。京都市埋蔵文化財センターは2016年からその辺りなど約840㎡を調査した。すると、東、西、南で盛り土や堤の痕跡(総延長170m)が見つかり、内部には島用に高くした箇所が3つあった。だが、実際に水を張ったのなら見つかるはずの粘土層や護岸石はなかった。

 南池跡の北東からは、東西5.4m、南北6mの小型建物跡も白い花崗岩と共に出土した。土器や瓦などの出土品ももとに埋蔵文化財センターは、室町幕府3代将軍の義満のための北山殿の建物のために南池が新たに準備されたが、義満の急死により途中で中断されたと判断した。なお、南池のための堤は、2mほどの土塁になっていたが、これは応仁の乱で西軍の拠点になった時に嵩上げされたためという。

 

 詳細な経緯は、埋蔵文化財センターに属する京都市考古資料館で12月27日まで開かれている速報展で紹介されている。