発見された扶桑と山城の戦艦 | 歴史ニュース総合案内

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 戦艦武蔵の探査発見事業を主導していた米資産家ポール・アレンの調査チームは12月7日、フィリピン南部で1944年10月に撃沈された日本軍の戦艦5隻を発見したと発表した。戦艦の扶桑山城と駆逐艦の満潮山雲朝雲だ。(12月15日には、別の海域で発見した駆逐艦・島風の公開も始めた)

 無人潜水艇による11月22~29日の探索活動で発見された5隻は、ミンダナオ島とレイテ島の間にあるスリガオ海峡で船体が逆になった状態で水深100~200mのところに眠っていた。サンゴ礁に覆われていた戦艦2隻は上下逆さまの状態で、スクリューも残っている。5隻はレイテ島海戦の中の海峡戦で米軍に撃沈された船だ。

 マイクロソフトの共同創業者であるアレン氏は、武蔵や8月発見のインディアナポリスだけでなく、バルカン社を通して第二次大戦期の兵器を蒐集しており、主宰するフライング・ヘリテージ・コレクションで一般公開している。

 

 扶桑と山城の2隻は第一次世界大戦中に呉と横須賀で建造された姉妹艦。扶桑は世界初の排水量3万トンを超えた巨艦で、艦橋が不自然なほど高い点に注目が集まったが、火力以外の性能が他より劣る「不幸型戦艦」と評されていた。同じ設計図でつくられた山城も同様の評価を受け、太平洋戦争では日本優位の時には前線に出動せず、敗勢になって深刻な戦艦不足を補うために西村艦隊の指揮で出動したが、スリガオ海峡の夜戦で戦果を上げる前に撃沈されてしまった。(駆逐艦の3隻はそれなりに活動した)