つらい。
苦しい。
泣きたい。
後悔。
納得いかない。
情けない。

そんな感情が一気に押し寄せて大混乱の週末。
気持ちを切り替えられるわけもなく、仕事にまったく集中できなかった。それも苦しい。
帰宅して夫にすべてをぶちまけて号泣。

なぜこんなに苦しむ?
自分のやりたい仕事、望んでいた仕事内容とは離れていこうとしているから。
いつのまにか置かれてしまった状況に、戸惑いしかないから。

私、こんな性質で、いやになる。
不器用、生真面目、完璧主義、馬鹿正直。
不安症で気にしすぎる。
だけど、逆にこの性質を生かして仕事で成果を上げていると思っている。

こんなに苦しんで悩んでいる私が悪いの?
できない、やりたくない、と思う私が悪い?
ちがう。
私にできることはあるって、自信を持つことができた今だからこそ、できないことがあるということも自分でよくわかる。悪くなんかない。

何を求められているのか、なんとなくわかる。
この人ならできそうって、思われているのもなんとなくわかる。
囲い込まれて、やりたくないことをやらなければならないポジションに仕立て上げられていくことが目に見える…いやわからないけど。だいたい想像通りのはず。
できないこともあるし、やりたくないことをやってまで待遇良くなりたくない。
望まれているかたちがどんなものかわからないけど、キャリアアップの方向性が違う気がする。
私、もっといろんなことやりたい。在宅で働いてみたいし、学校に通って勉強したいことだってある。また海外経験もしてみたい。
今の会社で長く働く、ということはもはや頭にない。
だって、子どものことも今はどっちだっていいんだから。

岐路だ。
どうする。
ストレスに押し潰されることがわかっていてもやるのか?
それとも、逃げるか。

逃げたっていい。
今はそう思っている。
だって、どんなに辛くても、涙が出ても、大事なとき、今まで逃げずに頑張ってきたから。会社のために、自分のために、必死に働いてきたから。
(一回だけズル休みしたけどそれは仕事干されてたからであって。笑)
今度ばかりは逃げてもいい。だって、自分のやりたいことではない。

この世を統べているのは心
飛び立つために逃げ出したっていい。


一年前…
妊娠がわかっても冷静だった私。
むしろ発覚直後は不安に苛まれていたんだね。

発覚後、健康診断に行った。
レントゲンがあったから、妊娠超初期でも、妊娠していることを伝えていた。

健診当日のこと、すごく鮮明に覚えている。
病院まで行くのに道に迷ったこと、問診で「はじめての妊娠?」と聞かれたこと、1時間もしないですべての健診が終わったこと、空腹の状態で大盛りパスタを頼んだこと、それがめちゃくちゃ美味しかったこと。まだお腹に赤ちゃんがいたこと。

再来週、同じ病院で健診を受けることにした。
あの頃の思い出が蘇るから嫌だけど、わざわざ新しいところいくより楽だし、ま、いっか。と思えるくらいには立ち直った。
すごいよ!
ちょっと前なら絶対に避けてた。

当時のブログを削除しようかとも思ったけど
過去があって今があるのだからと、ようやく前向きになることができたので、残しています。

健診で「無事に出産しましたか?」などと聞かれた場合、もう涙を流さずに「いいえ、流れてしまいました」と言えるだろうか。

聞かれずに済んだらいちばんいいなあ。

私は、「子どもを持っても、持たなくても、どちらでもいい」選択をしたい。

心から納得できる選択としてそれを望む。

もし今後、子どもを授かったとして、私は「産む」選択をする。

もし今後、子どもを授からなくても、それはもう一方の納得済みの人生の選択。

結局は、子どもがいなくても後悔しない人生を送れるかどうか?

これに尽きる気がする。

きっと、子どものいる人生に後悔などしない。
じゃあ、産んだ方がいいでしょうが、子どもを授かることができなかったなら?

正直、不妊治療をしてまで子どもが欲しくないから、「どちらでもいい」んだよね。

子どもを育てるうえでの環境の変化や、人間関係を思うと、ぞっとするのです。

「私にできるだろうか?」

そりゃ、子どもは育つ。

しかし、私はどうなる?
ただでさえ常にストレス過多なのに、耐えられるのか?

想像つかない。
わたしには向いてない。無理だ。

だから、子どもを持つ親を見ては

「ああ、子どもを育てる資質が高いから、子どもを授かることができたし、無事に産むことができたし、育てることができている人なんだなあ」

と思う。

いや、思うことにして自分を納得させた。
改札前で、夫の帰りを待っていた。

地味な色のダウンに、メガネ姿。
仕上げに花粉予防マスクの私。

1歳を過ぎたころくらいだろうか?小さなこどもがお母さんと手を繋ぎながらよちよち歩き、横を通り過ぎようとしていた。

普段、意識的にこどもや周りの人に目を向けないようにしているけど、こどもがあまりに近くに、半径1メートル以内くらいまで来ていたので、ふと下に目を向けた。


笑顔で、私に向かって手を振っていた。


子ども完全無視の、こんなに怪しい出で立ちの女を怖がったりしないのだろうか?
なんて無邪気なのだ。

あんなに無邪気で無垢なのに、見ず知らずの女から羨望や悪意を向けられる筋合いなんてないよね。

そう思った夕暮れ。

こどもって、不思議。未知。宇宙。
その姿に、胸が苦しくなり、なぜか泣きそうになった。


「こんなにつらいのに、どうして結局こどもはかわいいんだ」



ぐるぐると考えに考え、考え過ぎて、何周も回ってたどり着いたのは、
私、やっぱりこどもが欲しいのかもしれない。ということ。


ただ、それは熱烈な思いではない。

自然に任せて、できたらハッピー。
できなくても、それはそれでそういう人生でハッピー。

そんな風に思えるような気がしてきた。


よくここまできたね。

苦しかったね。

ここが終わりの始まり。

「子供はまだいいの?」と、結婚後、子供の話題になるのは当然。

でも、その当然さが人を傷つけている事実があるんだけど、これ、なんとかならないのかな?

子供を持つのが当たり前、子供を授かることができるのが当たり前と考えている人が大半の世の中だから仕方ない。
私も以前はそう思っていた。無知なばかりに。

自分の経験に照らし合わせ、かつ、あらゆる事情を抱える友人等の状況を考え見るに、なんと無神経で、不躾な問いだと思う。
正直、心底腹が立つ。

どんなに親しい間柄でも、その質問をするときには注意してほしい。

私は流産を経験している。
結婚して3年。2年で初めて妊娠も、流産。
次妊娠するのがいつかも分からないし、また流産の可能性も大いにある。私は子供が欲しいが、夫婦で意向が合わないこともあり、特に妊活をしているわけでもなく。ふわふわとした未来にただ不安を覚える毎日。
「子供は?」と聞いて、この答えを受け入れる覚悟がありますか?流産という経験が私の中でどんなに重いか、話を聞く覚悟がありますか?
ないなら聞かないで欲しい。

ただ、そう聞かれたとて、相手によっては全てを語ることはしない。
考えなしに問いかけてくる人には「子どもはまだいいかな」と答えておく。全てを晒すまでもないし、第一、自分の中で整理がついていないことだから。

むしろ、はっきりと伝えたほうがいいのだろうか?
全てをさらけ出すことは、ただの自己満足ではないかと忖度してしまう…

ただ、自分のことを話すことなしにも、釘をさすことはできるかな。コミュニケーションスキルの問題。

「子供が欲しくても、事情があって授かることができない人もなかにはいるから、その質問、気をつけた方がいいかもしれない。」
こう言ってあげれば良いか。

子どものことなんて、聞くまでもなく、報告を待てばいいじゃない?
「子どもはまだ?」なんて質問、誰にメリットがあるわけ?そもそも夫婦間の問題で、他の人には関係ない。ただの世間話なら、やめた方がいい。

実際にそう聞かれたこと、10年近い付き合いの友人相手でさえ、相当腹が立っているみたい私。
まあ、男性だけど、男性だから仕方がないといってしまえばそれまで。
仕方がないだけで片付けられない出来事でした。

新年から、なんと暗く重い内容…

2019年は、このふわふわした将来の計画にけりをつけ、2018年の経験などすべて引き摺り回して自由に向かいたい。