不妊治療することを決意するに至った経緯について綴っておこうと思う。
 
流産のあとは「また自然に任せて妊娠を待とう」と、夫婦の方針として決めていた。
ところが、待てど暮らせどその時は来ない。
 
その間ずっと、こどものいる人生か、いない人生かについて考えに考えどツボにはまり
流産を経験したことから妊婦や乳児に呪いをかけんばかりのオーラを放ち
(生霊でもとばしてしまったのではないかと思う)
仕事での閉塞感や将来への不安も相まって、
私は少しずつ精神的に追い詰められていった。
何より、身近な人の幸せな妊娠出産報告を喜べないことに苦しんでいた。
(あとから思ったが、不妊治療している人や流産を経験した人にとって当たり前の感情。受け入れられなくて当然と思う。)
 
あまりにつらくて、
「私呪われてしまった。妊娠出産という人の幸せをいっさい喜べなくなってしまった」
「呪いを解くために根本解決として断捨離が必要です(?)」
と夫に言ったら心療内科の受診をすすめられるまでに。
確かに、カウンセリングでも受けたほうがいいと私も思うわ…と、
実際に心療内科の予約をしたところでハッとした。
 
「子どもを授かることができればこの苦しみからある程度解放されるのでは?」
 
この苦しみ・悩みから解放されたいから、というのが子どもを持つことの理由のひとつでもいいじゃない。
その底には、
どうしても私たち夫婦の子どもが欲しい。
どうしても夫に私たちの子どもを抱かせてあげたい。
という純粋な思いがあるからこんなに苦しいんだ。
結局のところ、私が悩み苦しんでいるのは、猛烈に子どもが欲しいからなんだ。
 
その本当の気持ちを夫に話したところ、不妊治療について同意してくれた。
夫は転職したばかりで、このタイミングで子どもを授かることについては意欲的ではないのかもしれないと思っていたが、
それは違くて、どうやら不妊治療は私に負担がかかるから前向きではなかったよう。
優しさゆえの躊躇だったのかい。
 
現在30歳。
仕事、自己研鑽、不妊治療。
ひとつしか選べないとして、このなかで今本当にやるべきことは何か、と自問自答してたどり着いた。
どれだけ長くて苦痛を伴う治療になるか分からない。
めちゃくちゃお金がかかるかもしれない。
でも、私たち夫婦の子どもが欲しい。
どうせ一度きりの人生だし、今できることをやろうと覚悟を決めた。
 
こうして心療内科をキャンセルし、不妊治療専門クリニック受診の予約をした。
そして初診へとつながる。
これまでの経緯:
2016年1月  結婚
2018年2月  自然妊娠
2018年4月  妊娠9週で稽留流産
2019年7月  不妊治療専門クリニックに通い始める(現在に至る。)

流産から1年以上。

「一度妊娠したから1年くらいでまた妊娠するだろう」と軽く考えていたものの一向に何の気配もなく、結局不妊治療専門クリニックに行くことに。

初診は、夫と一緒に。
この時のことは何の検査をしたかも正直あまり覚えていない…
覚えていることといえば、
帰りに夫と話しながら「なんだかドラマみたい」なんてふざけた感想を言ったこと、
先生と話していたときに流産のことを慰められて泣いてしまったこと、
薄々気づいていたことだけど、私はこうやって「つらかったですね」って、優しくされたいだけたったんだと、確信した。
正直、流産自体の悲しみはとっくに乗り越えていた。
誰にも話せない苦しみや悲しみを吐き出して、うんうん、と聞いて欲しかったんだと思う。
どうしても許せないことがあって、それを晴らすことができずに苦しかったんだと思う。

それも含めてクリニック全体の優しい雰囲気に感動。
初めて行った産婦人科とはあらゆる点で大違い…
すごくホッとしたことを覚えている。

これが私の不妊治療の始まり。

長きに渡るかそうでないか、
授かることができるか諦めることになるか、
全く先が分からないけど、記録していきたい。

ツイッターで、
排卵はガチャガチャのようなもので、育つ卵子と育たない卵子がプログラミングされている。流産するかしないかは、受精の瞬間に決まっていて、誰も悪くはない。その認識がもっと広まって欲しい。

そんな内容のつぶやきをみた。

妊娠する前から知っていたら、もっと気が楽だったろうか?

それを知っていて、流産したあと、
「運が悪かっただけ。誰も悪くないし、気にしない。」

そんな風に思えただろうか?
すぐに気持ちを切り替えられただろうか?
自分を責めないでいられただろうか?

すこしは気が楽だったかもしれないけど、それでも自分を責めただろうな。

一年前の日記を読むと、私の悲しみようは大袈裟にも思える。
だけど、これが私にとっての普通。

運が悪かったから。
それだけで片付けられるような出来事ではなかった。

事前に知っているかどうかも大事なことだけど、
結局大切なのは、心のケアだと思う。



産婦人科には頼れそうにもなかった。
ただただ、妊婦健診や出産の対応に忙しい病院だった。流産をした患者を気遣う空気がいっさいなかった。
それからというもの、あの産婦人科は、魔物が住む要塞(?)のような、近づきたくない場所になってしまった。
診断書を書いてもらうのにも、ミスや手違いが多くて、手を焼いた。
こんなものなのだろうか?
忙しいだろうし初期流産なんかざらにあるから、構ってる暇がないのだろうが…あんまりだった。
妊娠して、無事に育って、無事に出産する。
そうすることにしか意義がない、と言われているようだった。



だから、夫には話をいっぱい聞いてもらった。
聞いてもらえるのは本当に嬉しかった。
だけど、夫は私と同じようには悲しめないということを知った。

当時、兄夫婦の子どもが産まれたばかりだった。
兄夫婦は、結婚してから仕事の都合で1年ちかく離れて暮らしていた。
その中で妊娠し、子どもを授かり、一緒に暮らせるようになった。
妬みの気持ちもあり、私が「あまり会えない2人だったのに、すごいよね。」と言うと、夫はこう言った。

「ずっと離れて暮らしてたから、神様がご褒美をくれたんだよ」

夫が兄夫婦を気遣う言葉が、私の心にざくりと刺さった。

「じゃあ、私は?私たちは?なんの罰があたったの?」

口にはだせなかった。

今も、心のどこかに引っかかって、とれない。
でも、このことを蒸し返すことは、夫を責めるものでしかない。
兄夫婦が子供を授かったのは運が良かったからだし、私が流産したのは、たまたま運が悪かったからであって、「神様からのご褒美」でも、「神様の罰」でもなんでもないのはわかっている。

ただ、ずっと忘れられないでいるってことは、心のどこかでまだ夫を責めている。一緒に悲しめなかった夫を、私の気持ちより、兄夫婦への気遣いを優先した夫を、責めている。

夫が一緒に悲しめないことを理解してから、1から10まで話をするのはやめて、ひたすら泣くことにした。泣いて、すこしスッキリ、泣いて、すこしスッキリ、を繰り返した。



そうして私が頼ったのは、この2つ。
1. 音楽
2. 仕事

音楽は、ずばり、エレファントカシマシ。
毎日飽きることなく聴きまくった。
文字通り365日聴いている。

私の生きづらさを代弁してくれているような気がして、曲を聴くと、涙が出た。
宮本さんの歌う姿をみて、元気をもらった。
エレカシから生きる活力を得た。


そして、仕事。
当時、ドがつくほどの繁忙期だった。
運が良かったのか悪かったのか。
繁忙期じゃなければ会社休んだろうな。
いや、繁忙期でも休んでいいんだけど、私自身それを許さなかった。
むしろ、仕事にすがりついた。
集中して仕事をしている間だけは、辛いことを忘れていられたから。
好きなことができて、自分をいかせる仕事についてよかったと、心から思う。 



こうして負のエネルギーを仕事にぶつけつつ、
挫けそうなときは音楽から力をもらった。


本当は親に頼りたかったけど、妊娠したことを話すのを後回しにしていて、結局伝える前に流れてしまった。
心配かけなかったから、これで良かったんだろう。




あれから1年、そんなことを考えた。

これからの未来、子どもを授かっても、授からなくてもどちらでもいいと思う時期もあった。

でも、今は、いずれは子どもが欲しいと思っている。
夫と過ごす中で、素直に「この人の子どもを産みたい」と思うようになってきた。

あれから1年。結局、「子どもが欲しい」に立ち返った。

夫の仕事が転換期であることもあり、今はこの気持ちを大事に心にしまっているけど、そのうちじっくり話をしたいと思っている。