わたしは人生をひっくり返す。
速く。しかもなるべくタダで…というストーリーの中のお話です。
数日後、
あみじま茶屋でお抹茶とお団子を頂いた!と職場の方にお話したところ…。
まだ、お茶屋さんには行ったことはないけど、藤田美術館は知っていますよ。
道を挟んだ広大な場所は
【太閤園】といってお食事ができたりすてきな庭園で、時期になると蛍を放していた。。
みんな楽しみにしてたんだけど、某宗教団体に買われてしまった。。と…伺った。。
…蛍…観てみたかったなぁ…
とてつもない【気落ち】が
やってきた。
この先、信者なんか増えない。
宗教は終わった。
昔は確かに必要だったかもしれない。
貧困や困窮、村八分、差別、
男尊女卑、暴力、奴隷、餓え、疫病、戦、物乞い、人身売買、死…など
このような状況で、
知識や哲学、
そもそも学びがない中
何を心の支えにして生きていくのか…
末端の人々にもわかりやすい
宗教は、たとえ『支配』のエネルギーであったとしても
一方では愛でもある気がした。
でも、今は全く違う。
そのお話はもう終わった。
子どもたちや青年たちが、犠牲になること…と同じく、
胸くそカテゴリーがある。
植物や樹々を伐採されること。
最近、わたしの投影に目立って飛び込んでくる。
何のエネルギーだろう…
侵略者がやってきて、命からがら逃げのびて、遠くから村をみてみたら火をつけられたり、どんどん樹々が切られて行くのを呆然と立ち尽くして涙を流しているルーツの方がわたしの後ろにおられた。
今日も街路樹がバラバラに切られているのを見た。
作業している方は、
わたしと同じく、
雇われて労働しているだけ。
胸は痛いけど矛先は違う。
家に帰って

奴隷、宗教、依存、支配、暴力
根絶やし、侵略のエネルギーをメインに愛に還した。
他国に侵略されて根絶やしにされている。何度も。
それと同様に、同じ国民なのに同じ国民を根絶やしにしたり、食いものにしたり、売りものにしてきたエネルギーもいっぱい感じる。
ギャングや反社の人たちはわかりやすいが、普通のなりをしていたり、一見手を差し伸べている人たち程、我々を心底欺いている。
後者がより、本来のサタニックに近い気がした。

某宗教団体が買い取ったことで、【太閤園】はバリケードで覆われて取り壊しの真っ最中だった。
ここには蛍は来ない。
でも、わたしは信じている。
人工的に誰かが蛍を放たなくても、最初から大阪の森に生息することを。

来る度に、スッカスカになっている大阪城の樹々たちも、原生林に復活する。
わたし自身は宇宙に還った後になるかもしれないけど・・
赤ちゃんや子どもたちが自由に軽やかに大胆にやってくれる。
我々の片付けが終わっていないばっかりに、彼らの本来のお仕事がひとつもできない。
まだ彼らのやりたい事ができるエネルギーではないからだ。
時間は押している。
今日もやる。






