私と桃と旦那さまー食べるは生きるー | 朝井麗華 公式ブログ/経絡整体師・おっぱい番長

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私の好きなフルーツといえば、「スイカ」です。

だけど、私が特別な思い入れがあるフルーツといえば・・・「桃」です。

 

それは、亡くなった夫との思い出があるから。

以前ブログに書いたことがあるんですが、桃を見るといつも思い出す光景があります。

【桃を見ると思い出す切ないお話。】(2013年8月)
http://ameblo.jp/acailove/entry-11591570546.html

 

 

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当時35歳の夫。

大の大人が「桃が食べたい」なんてかわいいなぁ

でもそれに、「生きているうちに」が付くと、途端に切ないセリフになる。

 

〝食べる〟ことって、生命力と繋がっていると思う。

夫は「食」に対して貪欲だった。自分にとって、美味しいもの、美味しい店、などこだわって選んで欲する人。食することが元気の源な人だった。

 

夫は私の10コ上だったからずっと大人に感じていたけど、今、自分が38にもなろうとする年齢になり、周囲の30代男性を見るとまだまだヤンチャ盛りな人ばかり。大人びた青年もいるけど、総じてまだこの歳だと私も含めて成熟しているわけではないね。

 

そんな歳で、毎日〝今日死ぬかもしれない〟と覚悟しながら過ごすことは、どれほどのことだったんだろう。

 

病が分かったのは彼が32歳の夏。

のっけから

「余命2~3か月」

「肝臓がん末期・骨転移・治療法無し」

を宣告された。

 

ドクターに

「手術は出来ない。効かないだろうけど、やりたかったら全身の化学治療やってみてもいいよ」

と言われ、少しの可能性にかけて抗がん剤は2度行ったがやってるそばから癌は成長。だから途中でやめた。

 

病院で出来る治療がないから、他の手立てをたくさん調べた。

当時その病院にはない治療法、保険の効かない、多分まだ治験段階だった重粒子線や放射線の情報をプリントアウトして持参し

「これをやってみたい」

と主治医に見せようとしたこともある。そういった相談を何度かしようとした。しかし決まって主治医はそれを見ることもなく

 

「こっちの言う事が聞けないんだったらここに来るな!」

 

と跳ね除けた。

夫は心から〝生きたい〟と思っていたから、あらゆる手を尽くしてあらゆる情報を入手したのに、それを、主治医に見ようともされせず打ち砕かれて、彼の心は毎回どれだけ傷付いたんだろう。

 

当時私は23歳。死の淵の病を抱えているといえども、そんな夫に包まれ、いつも守られていた。夫頼りの子どもで甘えん坊の私はこんな光景を見ても、「夫は大人で強いから負けない!」と、きっと心のどこかで思っていたんだと思う。

 

今、自分がこの歳になって、その時の、彼の心境を思うと、とても心が痛む。

 

言葉では表せないほど、彼は傷付いたことだろう。今、その医者に会えるもんなら、ゲンコツかましてやりたい。優秀な外科医として評判な医者だったが、他の治療法を相談されてプライドが傷付いた風だった。腕前はエリートでも所詮、〝負けん気が強い男の子〟だったんだろう。その医者はおそらく当時40歳前後。医者も人。大人だからって完璧じゃない。だから、主治医を恨んでもいない。

 

病院でできる治療はほとんどなかったから、健康食品や食事療法など、口に入れるものを自分達で色々試した。

 

食に対して貪欲だった彼にとって、飲み食いが自由に出来たことは幸いなことだった。医者が驚くほど、最期まで食欲旺盛だったのが救いだった。

 

自宅療法がままならなくなりホスピスに入院した時、入院待ち患者が列をなす中〝もう余命幾ばくも無い瀕死の状態〟と判断され、優先的に入れてもらえたのだが、

 

「民間の病院だからか、ここのメシはうまいなぁ」

 

と病院ご飯を喜び、3度の食事を楽しんでいた。

食事は〝氣を取り込む行為〟だと称している今だから分かるが、その病院食には作り手の患者を思う「氣」が込められていたと思う。良い病院だった。

 

 

ホスピスに入り、一切の治療的なことをやめ、制限のない疼痛治療(モルヒネなど)が受けられ、自宅療養で多少無理していた体力消耗などの心配事が減った上に、好きなものを好きなだけ食べられたおかげか、なんとホスピスでは異例の9か月の入院となった。(そのホスピスは基本的に余命1ヶ月以内と判断された患者さんから入院となる)

 

「食」が彼を支えていた、と言ったら過言だけど、大きな一因ではあったと思う。口からものを入れて、噛んで、味覚を感じることは、生きる上でとても重要なことだ。

 

そんな「食」を楽しむ彼だから、季節のもの、旬のものを〝自分がこれをあと何回食べられるか〟で生きている実感を図っていた節もあったのかもしれない。

 

だから毎年、桃の季節になると彼と交わした光景を幾度となく思い出す。

 

「生きているうちに、また桃が食べたいな」

 

「桃の季節まで、俺、生きれたんだね」

 

私にとって、桃は切ない味。

スイカみたいに、ただ好きで、無邪気には食べられない味。

 

 

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だけど、もう、彼が亡くなって11年になる。

10年経った昨年は何かのタイミングだったのか。本当にいろいろな事を考えさせられるきっかけがあり、「魂」の上での彼との節目をやっと迎えたと思う。長年のブログ読者様ならご存知、彼の遺言である「年に3度の〝肉を喰らう日〟」は、実は昨年から実行するのを辞めていた。ブログも彼に関する事を書かないでいた。

 

 

 

過去の記事で、

「生きているのが辛くて自殺を考えていましたが、これを読んで、まだ生きてみようと思いました」

とか、

「私も大切な人を亡くしてずっとふさぎ込んでいましたが、この記事を読んで少し心が救われました。ありがとう」

 

などと、こんな私の経験でも、読んで頂いて、こんなお声をかけて頂けたりする夫の話。

 

 

「旦那さんとの話、待ってます」

 

と多くの人に言われたりもしたけど、

 

 

しばらく夫行事をお休みして・・・

夫の魂ときちんと向き合った昨年で

私も本当の意味で魂の整理整頓が出来たんじゃないかな。

 

 

だから、私の中だけでは違う、これからまた夫の話をすることが出来そう。

 

 

夫とことは、私が確かに経験したこと。

人間は経験したことしか本当には解ることができない。

私の経験は、語るべき場所、届けるべき人がきっとあると信じてる。だから、35歳で天寿を全うする宿命だった夫のそばに使えさせられた、私の使命だと感じている。それが出来る私だから。

 

先日、今年も岡山の親友から桃が届いて、その桃を見た時に久しぶりに「書こう」と思った。自然に。

 

 

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この桃が届いてなかったら、まだ夫ブログは書いてないかもしれない。

毎年忘れずに、私と夫のエピソードをずっと大切に思ってくれている親友の存在に感謝。

 


彼女の思いがこもった今年の桃も、とても美味しそう。

天国の夫に自慢しながらいただきます。

もとい、彼にお供えして、一緒にいただきます。

 

 

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自分の写真センスが大して良くないと気付いて(笑)以降投稿率がちょっと減っている

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