鏡の理論・個人としての輪郭を色濃くするとき☆ペルーの孤児院時代 | 笑顔里美☆世界中の子供達に夢と笑顔を!さとみ先生前向きパワー全開!愛♡と笑顔^^で人と人をつなぐ旅♡

笑顔里美☆世界中の子供達に夢と笑顔を!さとみ先生前向きパワー全開!愛♡と笑顔^^で人と人をつなぐ旅♡

冒険と学びと愛と平和を愛する人。世界50ヵ国以上を歩く。ペルーの孤児院にて自分の天職を知る。多くの素晴らしき出会いを通し、幸せ探し自分探しの旅は南米でピリオドを打つ。今度は愛と笑顔で私が世界に恩返しをする番だ!

 

 

何故 日本を含め 「豊」 と呼ばれる国々に住む人達の方が

 

ここの人々より疲れているのか。

 

それは自己を認識する為の対象物の違いに在ると思える。

 

モケーグアの人々は 「人」 を通して己を認識する。

 

しかし 「豊か」 と呼ばれる国々に住んでいる人々は

 

「物」 を介しての自己認識が何て多い事であろうか。

 

全ての日常生活において 物が溢れている。

 

無機質なものから受ける認識は 浅く、 もろい。

 

己を認識する為の対象物は

 

生あるもの であるべきなのだ。



 

ここモケーグアでの生活は 正に 人と人の触れ合いである。

 

冷蔵庫が無いので 毎日買い物に行く。

 

スーパーが無いので ゴザやダンボールの上に品物を広げて

 

道端に店?を開いている たくさんの露店から

 

必要なものを買い求める。

 

洗濯機が無いので、 大きな洗濯たるを囲んで

 

仲間とわいわい世間話をしながら 手洗い洗濯をする。

 

電話が無いので、 用があるときは直接話に行く。

 

テレビが無いので、 時間があるときは 仲間と共に居る。



 

生活を便利にする為に、

 

時間を節約する為に造られた物を使えば使う程、

 

人との接点は減る。

 

そして時間までもが 無くなっていくような気がしてならない。


 

「人が在って 自分が在る。」

 

「誰かと共に在る時、幸せを感じられる。」

 

今の私の生活の中で、 電化製品は 裸電球一つだけである。

 

やっと慣れてきたが、 シャワーは水である。

 

細い竹を組み合わせて作られた天井から

 

砂がサラサラと舞ってくる部屋で寝起きしている。

 

しかし、 不思議な事であるが 私は ここモケーグアで

 

豊かに生きる事が出来ているのだ。



 

旅は己の再認識を要する。

 

人は様々な角度の鏡から映し出される己の姿を通して

 

自分自身を形作っていく。

 

己が見えない事程、 不安で恐ろしい事は無い。

 

ところが 凝り固まった思想や 生活形態を持つならば、

 

これらの鏡に出会う事が出来ない。

 

仮に出会えたとしても、 

 

その鏡に映し出された己を直視する事は難しい。

 

何故なら そこには 今まで自分が信じてきた社会観、 人間観、

 

時には 己の生き方をも否定する姿が映し出されるからだ。

 

しかし、 それらの鏡に映し出される己の姿を

 

直視し、 受け入れる時

 

その人は 個人としての己の輪郭を色濃くするのである。



 

アルフォンソのいびきは 今夜も快調である。

 

ペルーの人々や国、そして文化を理解しようと努めている私は、

 

知らず知らずの内に

 

自分自身 そして 

 

自分が育った国を理解し始めていた。