16年の時を経て南米孤児院時代で得た想いを☆私は誰?幸せって何?異文化が持つ鏡 | 笑顔里美☆世界中の子供達に夢と笑顔を!さとみ先生前向きパワー全開!愛♡と笑顔^^で人と人をつなぐ旅♡

笑顔里美☆世界中の子供達に夢と笑顔を!さとみ先生前向きパワー全開!愛♡と笑顔^^で人と人をつなぐ旅♡

冒険と学びと愛と平和を愛する人。世界50ヵ国以上を歩く。ペルーの孤児院にて自分の天職を知る。多くの素晴らしき出会いを通し、幸せ探し自分探しの旅は南米でピリオドを打つ。今度は愛と笑顔で私が世界に恩返しをする番だ!




「私は誰なの?」


「ゆとりって何?」


「幸せってどういうの?」





これらのどの問いにも答えられなかった私は、


18歳のときにアメリカに旅立った。


そして


25歳のときに南米に向かった。



アメリカは私にidentification、「私が誰なのか」を教えてくれた。


そして


ペルーの孤児院での孤児達との生活は


「ゆとりとは?」


そして 


これから自分自身が生きていく上での最大の難問であった


「幸せとは?」 


という私の問いに対して答えをくれた。



今の私の基盤となっているペルーの孤児院時代から


16年が経過しようとしている今だからこそ、


決して忘れてはいけない、


本当は常に自分自身の内側に共に在る想いを思い出してみようと思う。






(異文化が持つ鏡・ペルー・モケーグアでの孤児院生活から)






自分が慣れ親しんだ環境から離れ、


異なった文化に身を置くことはとても大切なことである。


何故ならそこでは、


自分の認識や考え方を新たな側面から見直す機会を得ることができるからだ。


人は自分が何者であるかを、


自分の内側から見いだすことはなかなか難しい。


多くの場合、自分以外の対象物から反映される自分の姿を通して


己を認識する。


私はアステカ民族が持つ鏡を通して少しづつ謎が解けてきた。


なぜ、日本を含め「豊か」と呼ばれている国に住む人達の方が、


「貧しい」と言われている国に住む人より「疲れて」いるのか?


それは自己を認識するための対象物の違いにある。


途上国の人々は、「人」を通して己を認識する。


しかし、先進国の人々は「物」を介しての認識が多い。


日常生活において物が溢れているのだ。


無機質な物から受ける認識は、浅く、もろく、とても不安定である。


己を認識するための対象物は「生あるもの」であるべきなのだ。


ここモケーグアでの生活は、


まさに全てが「人と人との触れ合い」である。




冷蔵庫が無いので、毎日買い物に行く。


スーパーが無いので、路上にずらりとお店を広げているたくさんの露店から必要な物を探し求める。


日々の買い物に会話は必要不可欠。


そこには必ず人と人との接点が存在している。


洗濯機が無いので、


大きな洗濯たるを囲んでみんなでわいわいと世間話をしながら手洗い洗濯をする。


電話が無いので、


用事が有るときは直接話しに行く。


テレビが無いので、


時間がある時は仲間と共にいる。



生活をより便利にするために、


そして時間をより節約するために作られた物を使えば使う程、


人との接点は減り、


時間までもが無くなってゆく様な気がする。


21世紀、日常生活に必要なほとんどのものが、


人を介すこと無くネットを通して手に入る時代になった。


確かに便利ではある。


しかし、


果たしてそれで人は本当の意味で豊かに生きることができるのであろうか?


人はやはり「人と交わり」「人と共に在り」


そして「人のために生きる」ときこそ、


ゆとりを持って、自分らしく生きることができるのではなかろうか。


「あなたが在って、私が在る。」


誰かと共に在れるとき、自分は存在し、幸せを感じることができるのだ。







こちらの文章は南米から帰国して8ヶ月後位に書いたものです。



まだ結婚する前の27歳のとき。



それから15年が経過した今も尚、これは私という人間の根源に強く息づいています。