「人にお願いできる部分はもうお任せする。実家や夫の母という戦力がいたからこそ、私は生き残れた――」
「女性初」という華々しい栄誉を幾重にも身に纏(まと)い、法務省、地検、そして弁護士として第一線を疾走してきた住田裕子の述懐。その朗らかな語り口の裏には、個人の「割り切り」と血縁の好意という極めて個人的な幸運に依存しなければ女性が生き残れなかった、現代日本の冷酷な構造的欠陥が黒々と横たわっていた。
彼女が切り拓いたはずの「女性活躍」という名の虚飾の道。
だが、その足元を見渡せば、個人の「特権的な環境」を持たぬ無数の女性たちが、家事と育児のワンオペという不条理な拷問に直面し、今なお悲鳴を上げている現実が存在する。
◇
かつてバブルの残り香が漂う密室で、暴力団の闇の勢力と対峙し、民事保全法という法の刃を振りかざして不法占拠を叩き潰した「住専」の時代。あるいは、外資ファンドの欲望が渦巻く企業のガバナンス改革、自衛隊や原子力の審議会において「国のため」と自らを鼓舞し、男社会の論理と戦い抜いてきたその半生。
確かに彼女は、個人の卓越した手腕と「優等生を捨てる」という開き直りによって、不条理な壁を力ずくで打ち破ってきた。
しかし、一人の天才的なパイオニアが「個人プレイ」で突き進んだその後に、果たして真の「制度の救い」は構築されたのだろうか。
高齢化の荒波が押し寄せる現代。介護のワンオペに直面して共倒れしていく家族たち、認知症の家族を抱え、損害賠償の恐怖に怯える庶民の叫び。
60歳を過ぎてNPOを立ち上げ、自らも孫の夕食作りに追われる「順送り」の日常を送りながら、彼女が目撃しているのは、個人の善意や家庭内の助け合いという脆弱な絆にすべての重荷を投げつける、国家の無責任な放棄そのものであった。
◇
「若者は社会の宝物。失敗を恐れずチャレンジを――」
山口百恵の旋律に想いを託し、次世代へ向けられる温かなエール。
だが、人口減少という底なしの坂道を転がり落ちるこの国において、その言葉はあまりに切なく、重苦しく響く。
制度の不備を「個人の努力」と「家族の犠牲」によって覆い隠してきたツケが、いまや少子化と介護離職という壊滅的な災禍となって日本社会を呑み込もうとしているのだから。
先駆者が流した血と汗の果てに、なおも解決されぬ構造の歪み。
誇り高き先駆者の笑顔の陰で、真の平等を勝ち取れぬまま喘ぐ現代社会の深い暗渠(あんきょ)は、どこまでも深く、重々しく広がっていた。