カリスマサンオペラも名前の好きな(好きだった)馬の一頭だが、テンザンセイザも名前の好きな馬の一頭である。(前作参照)
2001年5月4日
京都新聞杯GⅡ
前走の君子蘭賞を⑨⑬⑭→2着のVライン馬であったテンザンセイザは、ありがたいことに8人気の低評価。
単配当は2,700円 複勝は590円 馬連は、22,090円の高配当だったが、単複はしっかり取ったものの、2着のエイシンスペンサーが買えず馬連は逃すことに。
まあ、いつもの事である。単配当が2,700円なら何の問題もない。
ただ最近は単配当10倍を超え、自信を持って狙えるVライン馬や穴馬が見つけられない。
しばらく、馬券を買わなかった時期があるからかも知れないが、楽しくないのも事実である。
今でこそ、万馬券は珍しくないが、馬単や3連複すらなかったころ、万馬券は貴重だった。
そんな時代に単勝10倍の馬券を1点で取ることは、万馬券を当てる以上に快感だった。
価値観で言うなら、今の10万馬券を取ったくらいか!?
何せ1点勝負なのだから。
押さえが必要ないと言っているのではない。
ただ1点勝負の博打が好きなだけだ。
それは今でも変わらない。個人的には3点まで。
4点目まで考えなければならないなら、買う気はなくなる。
2点までなら、当然デカく張りたい。
100円200円の砂利銭賭けても楽しくないのだ。
100円玉が100万になる時代だが、それが50点100点、若しくは、それ以上ならすでにギャンブルではなく投資になるだろう。
投資=仕事
仕事が楽しいのなら何も言わないが、雀荘のマスターは『勝ちすぎれば客には文句言われるし、楽しい事なんか何もない』と言っていた。
馬券予想も同じである。自分が買うために予想するのは楽しみの一つだが、人のために予想するのは苦しみになる。
阪神ジュベナイルフィリーズが終わった。
馬単に3連単、3連複と当たってはいるが、買い目が絞りきれない。
的中しても楽しくない。
2001年5月4日
京都新聞杯GⅡ
前走の君子蘭賞を⑨⑬⑭→2着のVライン馬であったテンザンセイザは、ありがたいことに8人気の低評価。
単配当は2,700円 複勝は590円 馬連は、22,090円の高配当だったが、単複はしっかり取ったものの、2着のエイシンスペンサーが買えず馬連は逃すことに。
まあ、いつもの事である。単配当が2,700円なら何の問題もない。
ただ最近は単配当10倍を超え、自信を持って狙えるVライン馬や穴馬が見つけられない。
しばらく、馬券を買わなかった時期があるからかも知れないが、楽しくないのも事実である。
今でこそ、万馬券は珍しくないが、馬単や3連複すらなかったころ、万馬券は貴重だった。
そんな時代に単勝10倍の馬券を1点で取ることは、万馬券を当てる以上に快感だった。
価値観で言うなら、今の10万馬券を取ったくらいか!?
何せ1点勝負なのだから。
押さえが必要ないと言っているのではない。
ただ1点勝負の博打が好きなだけだ。
それは今でも変わらない。個人的には3点まで。
4点目まで考えなければならないなら、買う気はなくなる。
2点までなら、当然デカく張りたい。
100円200円の砂利銭賭けても楽しくないのだ。
100円玉が100万になる時代だが、それが50点100点、若しくは、それ以上ならすでにギャンブルではなく投資になるだろう。
投資=仕事
仕事が楽しいのなら何も言わないが、雀荘のマスターは『勝ちすぎれば客には文句言われるし、楽しい事なんか何もない』と言っていた。
馬券予想も同じである。自分が買うために予想するのは楽しみの一つだが、人のために予想するのは苦しみになる。
阪神ジュベナイルフィリーズが終わった。
馬単に3連単、3連複と当たってはいるが、買い目が絞りきれない。
的中しても楽しくない。