第2編 神武東征の解釈
『日本書紀』や『古事記』に描かれる神武東征は、日本神話の中でも特に劇的な物語である。日向の地(現在の宮崎県あたり)を発した神武は、兄弟たちとともに瀬戸内海を経て大和を目指す。途中で兄弟を失いながらも紀伊半島から畿内へ侵入し、現地の豪族・長髄彦と激しく戦った末に勝利を収め、橿原宮で初代天皇として即位した――という筋立てだ。
この物語は長らく「建国神話」として語られてきたが、近代以降の歴史学は、これを単なる虚構ではなく、地域間の勢力抗争を神話化したものと解釈する傾向を強めてきた。九州に拠点を置く勢力が東へ進出し、畿内の在地勢力を征服する過程を神話的に表現したのではないか、というのである。
実際、考古学的には三世紀後半から四世紀にかけて、九州北部で発展していた勢力が畿内に吸収されていく様子が見える。卑弥呼の後継国がやがて大和に吸収されたという説とも合致する。神武東征の物語は、九州の王権が畿内進出を試み、その過程で抗争があった事実を反映している可能性が高い。
さらに注目すべきは、神武が当初、難波や河内から侵入を試みたが失敗し、熊野から大和に入る経路を取った点である。これは、畿内の既存勢力が強固に防衛していたことを示唆する。長髄彦との戦いはその象徴であり、畿内の在地勢力と外来勢力の衝突が神話の中で dramatize されている。つまり神武の勝利は、畿内における政権交代を物語的に表現したものだといえる。
また、神武東征には「天照大神の子孫が天下を治める」という正統性付与の意味合いもある。大和王権が自らを「天孫」と位置付けるため、九州(日向)からの東遷が物語化されたのだ。ここに宗教的権威と武力的征服とを結びつけた政治思想が表れている。
こうした観点から見れば、神武東征は「日本建国の始まり」ではなく、「九州勢力と畿内勢力の合流と抗争の歴史的記憶」として理解できる。その勝敗は、畿内に定着した新たな政権が自らの正統性を主張するために神話化されたのであり、実際には両者の融合や妥協も含まれていた可能性が高い。
神武東征は単なる神話ではなく、大和政権成立の象徴的ドラマである。敗れた在地豪族の記憶は「反逆者」として描き換えられ、勝者は「天孫降臨」の末裔として神格化された。ここに、古代日本における権力の正統化装置としての神話の役割を読み取ることができる。