第六章 八佾舞の再解釈
蘇我氏と八佾舞の関係は、彼らの「王権僭称」の象徴としてしばしば語られる。確かに、八佾舞は天子専用の礼舞であり、豪族が用いるのは僭越であった。
しかし、別の角度から見るなら、これは「蘇我氏が倭国の王権を国際的に位置づける試み」でもあった。隋・唐と対等に外交するためには、倭国内に「天子」と呼ばれる存在が必要であり、蘇我氏はそれを自ら体現しようとしたのである。
すなわち八佾舞は単なる驕慢ではなく、列島を東アジア秩序に接続するための 儀礼的パフォーマンス であった。蘇我氏の野心は、単に国内で権力を握るだけでなく、国際秩序における「倭国の天子」となることにあったと解釈できる。
第七章 蘇我氏の遺産
蘇我氏は滅亡したが、その遺産は後世に強く残った。
飛鳥寺をはじめとする仏教文化の基盤
渡来技術を活用した都市・土木・農業の発展
外戚政治と女帝即位の先例
律令制への移行を準備した政治改革
こうしたものは、天智・天武朝の国家形成に不可欠であった。つまり蘇我氏の「専横」は、同時に「日本古代国家の胎動」でもあったのだ。
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《まとめ(後半)》
蘇我氏は、馬子の代に政治の中心を掌握し、推古朝を主導
蝦夷・入鹿の代に「天子」的権威を主張
八佾舞を通じて国内外に「倭国の王権」を演出
乙巳の変で滅亡するも、その遺産が律令国家形成の基盤となる
という歴史を歩んだ。