第五章 蘇我氏の「影」と後世の記憶
乙巳の変後、蘇我氏は「悪逆の専横者」として記録される。だが、その一方で、地方に残った支族は「曽我」「宗賀」として静かに生き延び、武士の時代になると再び「曽我物語」などに姿を現した。
この流れを見れば、蘇我氏の滅亡は 「中央権力からの追放」 にすぎず、実際には 列島各地に痕跡を残した巨大な氏族連合 だったと理解できる。
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まとめ(補足篇)
聖徳太子=蘇我馬子説は、太子伝が後世の理想化であり、馬子の功績が転写された可能性を示す。
本宗家滅亡後も蘇我支族は全国に残存し、地方豪族・郡司として生き延びた。
宗賀・曽我・曽賀などの改姓は、中央での失墜後も一族が在地社会に根付いた証左である。
つまり、蘇我氏は「滅んだ」のではなく、姿を変えて日本列島に散り、国家形成の裏で脈動し続けたのである。