以前から本屋で気になっていた本

「医者に殺されない47の心得」
著者:近藤誠

を買って読んでみた


読んでみてなるほどなぁ
と考えさせられることが多かった

書かれていることを簡単に書き出してみる


まず日本人は世界一医者好きな国民だということだ
国民一人あたりが年間で医者にかかる件数は約14回
これは先進国の平均の2倍以上になる

医者は病気の専門家だから調子が悪ければとりあえず医者に行こう
という訳だ

確かにうちの近所にも内科があるが駐車場に停められないほど混んでいる
のをよく見かける

毎日こんなにもたくさんの調子の悪い人がいるのだと驚く


さて僕の最大の疑問
医者は本当に病気を防いだり治してくれるのか
だが

医者でもある著者はこう断言する

「答えはノーです」


風邪、頭痛、高血圧、高コレステロール症(高脂血症)、不整脈、がん

病気の9割は医者にかかっても治るわけでも
回復が早くなるわけではない

そして治療の副作用や後遺症のリスクはとても大きい

例えば風邪を例にとれば
風邪のウイルスに作用して治せる薬はまだ発見されていない
医者で処方される薬は「対症療法薬」で
熱を下げる解熱剤やせき止めで
不快な症状を一時的に抑えるだけで回復は遅れる
のだ
発熱やせきは体がウイルスを追い出そうと闘っているサインで
薬は体の治癒力の邪魔をしているだけなのだ

実際に風邪薬やインフルエンザワクチンの副作用で亡くなる人は大勢いる


日本では
高血圧患者が4千万人
高コレステロール血症3千万人
糖尿病は予備軍を含めて2千300万人

つまり
日本にはすごい数の「病人」がいることになっている

世界一医者にかかっている国民がこんなにも病んでいる
ちょっとおかしいと思いません?


この数字のカラクリは
「これぐらいからは治療したほうがいいよ」
という基準が大した根拠もなく下げられているのが原因なのだ

高血圧の基準は長い間
最高血圧で160㎜Hgだったのに

2000年に140に
2008年に130に
まで引き下げられている

50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なのに
ほとんどが高血圧患者にされて降圧剤を飲んで治療するハメになっている

その結果喜んでいるのは実は薬品業界で

1988年には2千億円だった降圧剤の売り上げが
2008年には1兆円を超えて20年間で売り上げが6倍になっている

これはもう健康という名を餌にした商法と言ってもいい

問題は血圧やコレステロールを薬で下げると
数値は改善しても早死にするリスクが高くなることが世界的な追跡調査ではっきりしている


おかしな話ですね
医者に通えば通うほど早死にするリスクは増えているのです。




(続く)






僕がNのことを次に聞いたのは
25歳になった頃のことだった

街のショッピングセンターで偶然中学時代のクラスメイトにあった時だった


「懐かしいなぁ」

と昔話に花が咲いた後

「そういえばNが死んだの知ってるか?」


僕は頭を殴られたようなショックを受けた

「なんだって!Nが死んだって本当か?どうして死んだんだ」

「あいつ…自殺だったんだ。真夜中に車ごと港の堤防から海に飛び込んだんだ」


彼の話によれば
Nが海に飛び込む直前の夜中の1時ぐらいに
友人に電話があったんだそうだ

「いままでありがとう」
と言うNに
その友達は必死になってNが死ぬのを止めるように長い時間をかけて説得したらしい

だがNはその言葉を振り払うように電話を切って車ごと海に飛び込んだのだった


Nの葬式は見ていても辛いものだったそうだ
お父さんもお母さんも
みんな泣いていた
友達もみんな泣いていたんだそうだ



Nは東京の一流といわれる大学に入り
有名な企業に就職したらしい
いわば順風満帆の人生だった
なぜNは死を選ばなければならなかったのか


僕はその夜
家でNとの思い出を一つ一つ振り返った

中学の修学旅行のNの言葉
同窓会のことで電話してきたNと話した一言一言

Nの心の中をいろいろ想像しては
僕は何度も何度も泣いた


Nが望んでいたものは一流の企業で働く事でも
出世する事でもなかったのではないだろうか

Nは当たり前の
楽しい明るい家族関係を築いていきたかっただけではなかったのか

父や母に愛される為に
誉めてもらいたい為に
頑張り続けたのではなかったのか

そして彼はいつしか頑張り続ける事に疲れ果ててしまったのではないのか



中学校の卒業アルバムを取り出して見たNの写真は
笑っているのに
ひどく淋しそうにも見えた



あれから何十年という月日か流れたが
誰かが自殺したという話を聞く度に
僕はNの事を思い出した


あんな風に全力疾走するような生き方しかできなかったNは
悲しくも
せつな過ぎる


努力しない生き方を肯定する事はできないが
もしNがまだ生きていたら

「なぁ、人間ってさ いつもいつも頑張らなくてもいいんじゃないかな。ただ生きているだけでも それでもいいんじゃないかな」

そんな風にも言ってやりたいと思う



最近見たテレビ番組で
アメリカの有名な映画女優がこう言っていた

「泥だらけの水の中でもじっと耐えて、最後にきれいな花を咲かせる花があります。わたしはそんな蓮の花のような生き方がしたい」



その話を聞いた時

なぜか
バスケットボールを必死に追いかけていたNの横顔が

ふっと浮かんだのだった。








中学時代のクラスメイトだったNは
絵に描いたような優等生だった

成績は常に学年のトップ3
スポーツもできて
男前だった
しかも単なる真面目な優等生ではなく
バカな冗談を飛ばすことも得意でみんなから好かれていた

もちろん彼は女生徒の憧れの的だった


彼は自分にも厳しかったが
他人にも厳しかった

バスケ部のキャプテンだった彼は
試合でミスした者をよく叱っていた

Nの口癖は
「お前の限界はそんなものじゃない」
だった


今思えば
それは中学生が口にするゼリフとしてはずいぶんとませた言葉だった


のんびり屋の僕と彼はほとんど接点はなかったが
修学旅行で偶然同じ班になった


夕食も終わり広間で寝る時に
彼は僕のとなりの布団だった

もうみんな疲れて寝てしまった深夜だった

Nが話かけてきた
他愛のない話をいろいろとした後

「なぁ、家族って生まれた時から家族なのかな?それともだんだんと家族になっていくのかなぁ?」
とNは言った


変な事を言う奴だなぁと思いながら
「そりゃ始めから家族なんじゃないか」
と言うと彼は

「…そうだよな」
と彼は寂しそうに呟いたのを覚えている


やがて彼は市内で一番の進学校に進み
僕は中ぐらいの高校に進学した
風の便りによれば彼はその進学校でも
常に学年で5番以内を争っていたようだった


高校2年の夏休みにNから電話があった
同窓会の連絡だった

僕は気が進まなかった
頭のいい奴と同窓会で顔を合わせても楽しい事などないと思ったのだ

「たぶんいけないな、その日は用事があるんだ」
僕は嘘をついた

でも何故か彼はなかなか電話を切ろうとせずに
中学時代の思い出話を長々と話続けた
僕が話疲れてそろそろ電話を切ろうとした時に
ポツリとこう言った

「俺な…実は本当の子供じゃないんだ…つまりさ養子なんだよ。俺がもっと頑張れば父さんは俺を誇りに思ってくれるかな」
初めて聞く話だった

おそらくこの事を知っている同窓生はほとんどいなかっただろう

僕は何故たいして親しい訳でもない自分にそんな重大な話を打ち明けたのかNの気持ちが理解できなかった

ただNが中学時代のような明るさが無くなってきている事だけは会話の中で感じていた

「驚いたよ…でもさ…そういう家庭ってあるんじゃないかな。あまり気にし過ぎるとかえってよくないんじゃないかな」

そう言うのがやっとだった

「…そうだな…うん」

そう言うとNは電話を切った

それから何年か過ぎ
僕は県内の私立大学に進み卒業後就職した

Nから連絡がくる事はなかった


僕はだんだんとNの事を忘れていった。