さて、今回はこのシリーズの最終回になります。

「愛されていないじゃないのよ!認めてくれないじゃないのよ!」という強い感覚が、
「なんとかして愛されないと。なんとかして認めてもらわないと。」
という強迫観念のようなこだわりをつくりだし、
この強迫観念が、
「愛されない自分はダメだ。認めてもらえない自分はダメだ。」という自己否定感をつくりだす、
このサイクルはなんとなくご理解頂けるでしょうか?

卵が先か鶏が先かではありませんが、このサイクルは逆向きもあります。

「愛されない自分はダメだ。認めてもらえない自分はダメだ。」
という強い思い込みがあるからこそ、
ちょっとでも自分が愛されていないことはないか?ちょっとでも認めてもらえないことはないかを
必死になって探す。

そして実際に、
自分を愛してくれないとか、関心を持ってくれないとか十分に認めてくれない相手に
なぜかひきつけられ執着するようになります。

そしてその人たちからなんとか愛を引き出そう、
自分に関心を持たせよう、
認めさせようと躍起になります。

これを愛と混同するのです。

ちなみに、「愛されない自分、認めてもらえない自分」という自己像から、
「ときには愛されないこともある自分。ときには認めてもらえない自分。」というふうに
自分自身についてのとらえ方をちょっとでも変えられたらしめたものです。

「ときには愛されないことがあっても、ときには認めてもらえないことがあっても、
別に自分が悪いわけではないし、
それはそれで大丈夫なんだ。」
という安堵感が生まれます。

この安堵感が生まれた時に、
自分を認めてくれなかったり大切にしてくれない人たちに、
さほどしがみつかなくなります。


そのうちに、
「愛してくれない人もいるけれど、愛してくれる人もいる。
認めてくれない人もいるけれど、認めてくれる人もいる。」といった具合で、
自分を認めてくれなかったり大切にしてくれない人と、
認めてくれて大切にしてくれる人たちの重要度がだんだん対等に近づいていきます。

そしていつしか、
「自分を愛して認めてくれる人たちにもいろんな人がいて、
その中には魅力的ではない人ももちろんいるけれど、
魅力的な人たちもたくさんいる。」
というふうに見え方がわかっていきます。

そして最終的には、
「自分を愛してくれる人たち、認めてくれる人たちはいるし、
そうではない人たちももちろんいる。
どうせだったら、自分にとって居心地よく感じられる人たち、
愛してくれて認めてくれる人たちと一緒にいることを選ぼう。」
こんなふうに関わる人間関係を意識的に選べるようにもなります。

そうなってくると、おもしろいもので、
あなた自身が今までこだわっていた相手へのしがみつきが消えていきますし、
そうなってくると、相手のあなたに対する扱いや、
二人の関係性が変わってくる場合もありますし、
あるいはそもそも意地や執着だけで結びついていた人間関係だった場合、
その人間関係そのものがゆるやかに自然消滅していく場合もあります。

いずれにせよ、
ほしいものを与えてくれない相手への執着を愛と取り違えることから目が覚めると、
本当にほしいものを一緒に作り上げていける相手と関係を築くことに関心が向き、
そうした人たちからの愛情を受け取れるようになっていきます。


あなたが今愛ととりちがえているこだわりはなんですか?

そのこだわりを手放して、豊かな愛情を受け取っていく準備はできていますか?




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